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コロナ入学の大学生が卒業し社会人になる件 あのとき若者の味方を装った人たちの功罪

メルマガの記事が好評だったので転載。

水曜は勤務先の大学の卒業式だった。
私のゼミ生が卒業生総代として、スピーチした。
まずはこれを読んでほしい。
※なお、当日は天候が悪かったので
最初の挨拶は微妙に変更になった。
彼女の同意のもと、もらった元原稿より

心地よい春風吹く、この良き日に、
このような盛大な式を挙行していただき、
誠にありがとうございます。
お忙しい中ご臨席賜りました皆様に、
卒業生一同を代表し、心よりお礼申し上げます。

4年前の春、世界は変わってしまいました。
2020年4月、私たちは千葉商科大学の
門をくぐることすらできませんでした。
大学生活は、
オンライン開催の入学式から始まりました。
通学することもなく、
時間になったらパソコンを開き講義を受ける日々。
友人とのコミュニケーションは
チャットのみでした。
想像していたものとは違う大学生活。
大きな不安から始まったことを
今でも覚えています。
私は、小さな勇気を胸に前に進みました。

千葉商科大学での4年間を通じて、
私はひと皮もふた皮もむけ、
強くなったと実感しています。
入学当初の私は言われたことをこなすだけで、
周りの目を気にしながら生きていました。
正直、真面目なだけでつまらない学生でした。
しかし、たとえ未熟でも
自分の意見を主張することが
大切だと気がつきました。
特に、そのことを感じたのはカナダ留学です。
様々な国から集まってきた学生たちは
常に自分の意見を持っていて、
「私はこう思う。あなたはどう思う?」と
主張していました。
この日々を通じて、主張する勇気が芽生え、
自分の頭で考え、自分の言葉で
意見をはっきり伝えられるようになりました。

さらに、就職活動を通じて、私は強くなりました。
売り手市場にも関わらず、
私は、就職活動に苦戦しました。
周りに相談せず一人で抱え込んでしまい、
毎日、泣いて過ごしました。
我慢の限界を超え、大泣きした日、
教職員の方や、友人に悩みを打ち明けました。
教職員の方は私に真摯に向き合ってくれました。
友人も笑顔で過ごしているように見えて、
私と同じように裏では苦労しながら泣き、
頑張り続けていることがわかりました。
自分は一人ではないと気づき、勇気が出ました。
結果、納得のいく一社に出会うことができました。
弱さをさらけ出せるようになったのも、
笑うことが増えたのも、
私が強くなった証拠かもしれません。

私たちは今日、千葉商科大学を卒業します。
それぞれが別の道を歩み、
社会の荒波に挫折することもあるでしょう。
留学先のカナダで出会った言葉を
皆さんに紹介します。
「自分を信じて、
 あなたは思っているよりも勇敢で、
 あなたが知っているよりも才能があり、
 あなたが想像している以上のことができる。
 前に進み続けよう。」
“Believe in yourself,
 you are brave than you think
 more talented than you know,
 and capable of more than you imagine.
 Keep moving forward.”

自信という言葉は自分を信じると書きます。
自分を信じて、前を向いて笑って走ります。
私たちの学生生活において
幅広い支援をくださった、教職員の皆さま、
いつもそばで支えてくれた家族、
共に走り続けた友人たちに
改めてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
これから始まる、卒業生たちの物語、
応援よろしくお願いします。

引用、ここまで。

そう、今年の卒業生は、
大卒の新入社員は、
「コロナ入学」の若者だったことを
忘れてはいけない。
 
昨年からマスクも外れ。
様々なイベントも復活した。
オンライン講義もだいぶ減った
(これは賛否あるのだけど)。
そういえば、ワクチンというものもあったか。
ただ、コロナで大学生活に大きな制約があった
若者たちがいることを忘れてはいけない。

今年の大卒は、
入学式が事実上なかった人たちなのだと。
様々な学生らしい活動が制約されたのだと。
様々な予定を組んでも緊急事態宣言で
変更になったり。
予定はいつも未定だった。

いかにも最後は平和に終わったようで、
一方、同級生の顔と名前がいまだに一致しない、
友人を増やすチャンスがなかったという声もあり。

内定率も今年は高いのだが、
一方でこの時期に未内定の学生は
誰を、何を頼っていいのか分からず
困惑していたりする。

4年前、新型コロナウイルスショックにより
盛りあがった若者同情論も検証しなくてはいけない。

あのとき、吠えていた人たちは
「コロナ入学の皆さん、
卒業おめでとうございます。
コロナで大変でしたね」
と一言でも言っただろうか。

当時も
一般的な大人が現実の大学生活を
「わかっていない」ことが明らかになった。

「サークルに入れない」
「友達ができない」
「恋愛できない」
「海外旅行に行けない」
「留学に行けない」
「こんな素晴らしい大学生活が送れない」
「だからワクチンもマスクもいらない」
「大学に行かせろ、普通の大学生活を送らせろ」
というような論を見かけた。

若者を思ってのことだろう。
・・・いや、本当にそうだったのだろうか。
若者を思っている姿勢をとりつつ
コロナ対策や、マスク、ワクチンに文句を
言いたいだけだったのではないか。
鬱憤を晴らしたいだけだったのではないか。
そう思うことがある。

なお、コロナ対策、マスク、ワクチンの是非
については、なぜ当時そう判断したのかを含め
検証が必要だろう。
もっとも、若者の味方を装った意見も危険である。
若者を、利用しているだけじゃないか。

話は戻る。
この手の同情論に関する想いはまったく否定しない。
むしろ、若者のことを考えてくれてありがとうとも言いたくなる。

ただ、同時に今の大学生活に関して、
少しでも調べてから発言したのかと
問いただしたくなる。

「ぼくのかんがえる
 さいきょうのだいがくせいかつ」を
押し付けていないか。

頭の中で妄想が広がっていないか。

自身の学生生活を
しかも美化した前提で語っていないか。

こういう「俺の学生生活は最高だった」
という自分語、昔話は
誰もハッピーにしない。
「俺も昔は悪かったんだよ」話同様に
自己満足でしかない。

実は若者の大学生活は
だいぶ前から、同情論を論じる大人が思うよりも
「かわいそう」だった。

サークル→コロナ前から加入率は減っていた
友達ができない→これもコロナ前からの悩み。
友達ができてもそれはそれで悩む。
これもまた問題。
恋愛できない→これもコロナ前から。だいたい
恋愛、性が最強のコンテンツだったのは昔の話。
海外旅行に行かない→コロナ前からの傾向
留学にいけない→留学する人が最も多かった
コロナ前でもその学年の1割以下しか留学せず、
しかも短期の語学研修中心。

もちろん、この辺りは振れ幅もある。
学生間の格差もある。
それもまた問題だ。

しかし、あるべき学生生活を押し付け、
学生に同情している風を装い、
コロナへの怒りや、
マスクやワクチンの是非を述べるのも
また偽善ではなかったか。

あの時、
騒いで(いや、問題提起して?)いた人たちは、
コロナ入学1期生が卒業することを
覚えているのか。

若者を利用して騒ぎたかっただけではないのか。

という私も、学生のエピソードを利用して
何かを言いたい人の域を
出ていないのかもしれないが。

学生たちは想像以上に逞しかった。

新しい大学生活をつくっていったし、
青春をやりきった。

あの、コロナ入学者たち、
入学式がなく、しかも講義の開始が遅れ、
いきなりオンラインで学生生活が始まった人たちが
社会に出る。どうか、そのことを忘れないで。

「上を向いて歩こう」と歌ったのは坂本九だが、
教え子は「前を向いて走ろう」と語ってくれた。

ありがとう。

私もそうするよ。

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