わたし、きれい?【児童小説】
五時を告げるチャイムが、赤く染まった教室に鳴りひびいていた。
「えっ、もうこんな時間?」
「やばっ」
マキとユリはあわててランドセルをつかむ。
放課後教室に残って、こっそり持ち込んだファッション誌を読むのが、ここ最近の二人の流行だった。ついつい読みふけってしまったのだ。こんな時間になっているなんて、まったく気がつかなかった。
校舎を出ると、もう夕やみがあたりを包み始めていた。がらんとした校庭はうす暗い。校舎の影がうすむらさきに溶けているようだ。秋の、冷たい風が砂を巻き上げていった。
「気を付けてね」
「うん。ユリも。また明日ね!」
校門で別れると、マキは少し速足で歩き始めた。早く帰らないと、お母さんに怒られてしまう。ただでさえ最近帰りが遅いと文句を言われているのだ。下手したらお風呂掃除の刑である。
マキの家は、路地の奥にある。
大通りを抜けて一つ折れ、その路地の入口まで来て、マキはごくりと唾を飲みこんだ。家と家の隙間は、マキを食べてしまおうと言わんばかりに、あんぐりと口を開けている。
マキはこの道が好きではない。ただでさえ昼間でもいい気分はしないのに、もう星がまたたき始めているこの時間は、もっといやだ。ところどころに立っている街灯のたよりない光が、逆に暗闇を際立たせているようだった。
もっと早く帰ればよかった。マキはいつもここにきて後悔をする。でも、この道を通らないと家に帰れない。
えいや、と足を踏み出した。
両脇にそびえる家の壁が、マキをそのまま包み込もうとしているようだった。
そのとき。
「ねえ」
女の人の、声がした。
ぎくりとして、マキは足を止める。
「ねえ」
まただ。前から聞こえたようだった。目をこらすと、街灯の下の明かりに照らされて、女の人の足が見えた。ほっそりとした足首に、赤いハイヒールが、スポットライトに照らされているようにくっきりと見える。
かつん、かつん、と音をひびかせて、女の人は街灯の下に立った。
赤いスーツ姿の、若い女の人だった。表情はわからない。顔の下半分を大きなマスクでおおっているのだ。
「ねえ、わたし、きれい?」
女の人は、長い髪をゆらりとゆらめかせて、マキに近づいた。
マキはきょとんとその人を見る。
(あたしに、聞いているんだよね?)
マキは女の人をじっくりと観察する。
「きれいだよ?」
女の人は、目をすっと細めた。そしてゆっくり自分の口元に手をやって、マスクをそっと外す。
「……これでも?」
女の人の口は、耳までさけていた。
マキはきょとんと目をまたたかせる。
「……もしかしてお姉さん、口が大きいの、気にしてるの?」
「えっ」
今度は女性が目をまたたかせた。
「確かにちょっと口は大きいけど、お姉さんすっごくきれいだよ?」
髪の毛はさらさらだし、目もぱっちりと大きくて、鼻筋もすっと通っている。すらりとした細身で、ウエストもきゅっとしまっているし、足も長い。
雑誌やネットに載っている、モデルのようだ。口さえ気にしなければ、うっとりするくらいきれいな人だった。
「あっ」
マキは笑った。すごくいいことを思いついたのだ。
「ねえお姉さん、明日もここにいる?」
「……い、いるけど」
「それじゃ、約束! 明日の午後三時にここで待ち合わせね!」
こうはしていられない。早く家に帰って、作戦を練らなければならなければいけなかった。
もう暗い路地だって、まったく怖くない。マキはワクワクした気持ちで、まっすぐの道を駆け抜けた。
***
「ほら、動かないで!」
まだ明るい公園で、マキは真剣な顔でメイク道具をにぎりしめていた。あの路地でおとなしく待っていた女の人を、ここまで連れてきたのである。
「うわ、お姉さん髪の毛さらさら!」
女性の後ろにはユリが立っていて、櫛で髪の毛をすいている。
「あたしね、メイクアップアーティストになりたいの」
マキは笑った。
「動画で見たんだ。やっぱりお姉さんみたいに、なやんでる人がいてね。そういう人をきれいにして、喜んでもらってた」
ファンデーションを使って、マキは女の人の口を少しずつぬっていく。「だってお姉さん本当にきれいなんだもん。そんな暗い顔して、もったいないよ」
「そうそう」
ユリもうなずいた。
「私たちは、きれいになる魔法が使えるんだって。雑誌にものってたよ」「ほら、できた!」
「うわ、お姉さん、やっぱりきれい!」
「見て見て! ね、これでもう大丈夫でしょ!?」
唇の輪郭をあえてくっきり見せて、リップも明るい色を乗せる。その口に負けないように、アイシャドウも少し濃い目に乗せてみた。
大きな口を活かしたメイクは、女の人にとても良く似合っていた。
手渡した鏡をそっとのぞいた女の人は、大きな瞳をもっと大きくした。
「わたし、きれい……!」
その瞳から、ぽろり、と涙が零れる。心の底から、花がひらくように、女の人は笑った。
「ありがとう……」
そして、砂がくずれるように。
さらさらと消えていったのである。
「え」
「き、消えちゃった……」
マキたちは、顔を見合わせて――。
その日から、早く帰るようになったのは、言うまでもない。
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