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石ころ

 私は河原に転がる石ころだ。誰もがそう思うだろう。いや、誰も気にもとめないだろう。地学好きのタレントが出演する街を散策する番組で幸運にも目に止まらない限り、私が何者であるかなんて誰も気づかない。だから、ここに来て10年になるが、平穏な毎日を過ごしている。

 最初はこの星を調査に来た。地質、大気、生物、もし知能の高い生命体があればその実態。そして、ここには人間という生物が、有機物を主体として形成された生命として存在し、相互に会話するだけでなく、自ら無機物をベースに製作した装置を使って、遠くにいる他者とも会話できることがわかった。むろん、我々の知っている生命の定義や、会話の方法とはまるで異なる。とても興味深い。しかし何より興味深いのは、そんな人間たちは、他の星の生命体の存在にまだ気づいていないことだ。彼らは知能が優れている割には、保守的というか固定観念が強いと見えて、他の星の生命体は、自分たちと同じような格好をしているとか、少しひねっても地球にいる他の生物と似たような形状と想像しているらしい。また、他の星の生命体が生存できる条件も、温度環境や圧力、酸素の有無など、およそ自分たちと同じ条件とみなしているのだ。彼らのことわざで言うところの「井の中の蛙」そのものだ。

 でも、私は言わない。我々の存在は、彼らの身近にあることを。外見は彼らの知る石ころそのものの私が、知的生命体で、無機物ベースで、彼らの知る電磁波や光、音とは違う物理手段で他者と会話できること。彼らが宇宙人と呼ぶ、他の星の生命体が行うかもしれない地球侵略には全く興味がないことも。いや、本当は伝える手段すらないのだが。

 私の星は、太陽系から遠く離れ、そこには様々な形態の生命がいる。しかし地球人の思うような物質や形状ではないから、おそらく今後も当分気づかれることはないだろう。しかし、この太陽系にも、似たような生命体は存在する。小惑星に、火星に、金星に。他にも木製の衛星、土星の衛星。本当は一番近いあの天体にだって。

 我々の構造は彼らからすればとても不思議だろう。まず食事をしない。光や熱や、その他、彼らで言う音のような波動をエネルギーとし、彼らで言う脳にあたる内部回路で考え、時々わずかな熱や光を出す個体もいる。多くは手足のような可動部を持たないが、地球人の知らない物理法則で移動することができる。それも、ロケットのような光の速度よりはるかに遅い手段ではなく、極めて高速な、彼らが見れば瞬間移動にあたるような手段で。また、地球の生物は、古くは細胞分裂で自らのコピーを生み出し、やがては複数個体から別の新たな遺伝子を生む生殖という手段を持つに至るが、我々は自然の力でそれぞれが独自に生まれ、同じ性能を持つ個体を欲すれば、相互連携によるコピー機能で達成される。結果、生存に有利な個体が量産され、かつ自然発生的に生まれる新たな個体が地球で言うところの「進化」の役割を担っている。

 ここに来て、確かに地球の生命体は稀有な存在だと思う。そして人間という、賢いのか愚かなのかわからない生命は実に興味深い。我々が「ごちそう」と呼びそうな地球のエネルギーを一瞬で吐き出す地震や噴火に怯え、自由に動けるようでいて、実際は地球上と周辺にしかだどりつけない。「他の星の生命に会いたい」と願う個体が多いにも関わらず、私のような身近な生命体にまるで気づかない。もちろん地球に来ている我々の仲間はごく少数で、確率で言えば実際に遭遇することは稀だし、余程運良く学者のような人が中でも開けないと、地球の石との違いはわからないから無理もないだろう。中には一見「砂」と見える生命体も他の星から来ているようだが、なおさら発見は困難だろう。

 この星は面白いが、そろそろ帰るとしよう。たくさんの土産話ができそうだ。そうそう、地球人の中でも頻繁に仲間同士の諍いがあって、今もこの地球上で誰かが別の地域、彼らは国と呼ぶようだが、そこを攻撃しているらしいな。姿のないエリアを区切って、しかも誰かが統治するという発想は我々にはない。仲間同士が言葉や文字を使った、不自由で誤解を生みやすい手段でしか意思疎通できない地球人の悲しいところだ。
 また、多くの地球人がその行為に悲しみ、止めようとしているにも関わらず、一部の指導者が暴走することもあるようだ。まったくおかしな連中だ。井の中の蛙、宇宙を知らず。どうせ帰還の際にエネルギーを使うんだし、ちょっと挨拶してくるか。

***

 その国の指導者は、カメラの前で国民と全世界に対して、この戦争は正義であると熱弁していた。こうするしかなかったのだと。その時、どこからともなく手のひらサイズの石が飛んできて、指導者の頭を直撃した。
 世界中が見守る中、頑固な指導者は倒れ、その国には、戦争を続ける唯一の理由が、無くなった。