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リルケの詩「ほとんどすべてのものが」―私の中に木が育つ

リルケの詩でしばしば引用される一節がある。

すべての存在を 一つの空間がつらぬいている
世界内部空間 鳥たちは静かに飛び
私たちを通り抜ける ああ 成長を望む私が
かなたを見やる すると私の中に木が育つ

この一節を含む詩は1914年に書かれた。生前のリルケの詩集には収められておらず、題もない。

これがしばしば引用されるのは、リルケの思想の重要概念である「世界内部空間」という語が初めて登場しているからだ。

でも、詩全体はどのようなものなのだろうか。気になったので、全体を訳してみた。そして、なんとか解釈もしてみた。

ヨジロー訳

  ほとんどすべてのものが

           ライナー・マリーア・リルケ

ほとんどすべてのものが 感じられることを求めている
変化のたびに声が聞こえる 思い出せと
私たちにとってよそよそしかった一日が
いつの日か 贈り物であることがわかる

私たちの成果をはかる者がいるだろうか
過ぎ去った古い年月を 私たちから奪う者がいるだろうか
私たちは初めから知っているのではないか
あるものが 別のものの中に見出されることを

関わりのないものが 私たちの胸であたたまることを
ああ 家よ 草原の丘よ 夕日よ
突然 私たちの目の前に現れ
私たちと胸を合わせる いだき抱かれて

すべての存在を 一つの空間がつらぬいている
世界内部空間 鳥たちは静かに飛び
私たちを通り抜ける ああ 成長を望む私が
かなたを見やる すると私の中に木が育つ

私が心を配る すると私の中に家が建つ
私が用心する すると私の中に避難所が生まれる
私が愛される者となったときには 私の胸で
美しい生きものの影が安らい 心ゆくまで涙をながす

*原詩は無題。「ほとんどすべてのものが」は訳者による。

語句の説明

世界内部空間――リルケは、世界の内部では私たちの外部と内部が一つになっていると考えている。

美しい生きもの――恋人の女性のこと。

解釈

▲第一連
最初の2行は難しいが、3行目と4行目はわかりやすい。私たちの気を滅入らせるような嫌な一日、そんな日も時間が経ってみると、自分にとって意味のある日だったのだ、自分への「贈り物」だったのだと思えてくる日があるということだ。

そんなふうに、よいことだけでなく、よくなかったことも、「ほとんどすべてのものが」つながっている。連動している。だから、悪い「変化」があっても、思い出すことだ。同じように辛かった日が、よかったと思えるようになったことがあるのではないか。

すべてがつながっているから、私たちは過去のさまざまな出来事を思い出し、そこであったことを「感じ」、現在と結びつけることが必要だ。現在だけでなく、かつてあったこと、これからあるだろうこと、そういったすべてを含む全体の中で生きることだ。

「ほとんどすべてのものが 感じられることを求めている」という最初の一行はそのようなことを伝えていると思う。

▲第2連
1行目と2行目は反語になっている。私たちが何をなしたかをはかる者などいない。過去を私たちから奪う者などいない。

3行目と4行目にあるように、「あるもの」は「別のもの」の中に含まれるという形でいろんな者が相互的に関連し合っている。だから、今現在、ちっぽけな成果しか得られなくても、それを嘆く必要はない。現在が過去となった未来に、偉大な事柄が達成されることもある。私たちが日々獲得していく過去は豊かな収穫をもたらし得るものだ。それは決して奪われることのない、自分だけの宝だ。

▲第3連
外界にあるさまざまな事物。それらが私たちに何の関係もないように見えても、実は私たちと関連し合っている。それらは私たちの心にさまざまな感情を呼び起こすからだ。ふと見た「家」「草原の丘」「夕日」が私たちを慰めてくれることもある。そのような事物と、私たちは恋人同士のように抱き合っていることもあるのだ。

▲第4連
私たちの外にある事物と私たちの内面は別々のものではない。世界の内部においてはそれらは同じ空間にある。世界内部空間では外界と内界を自由に行き来できる。

「鳥たちは私たちを通り抜ける」ことができる。鳥たちが外の世界を飛んでいても、同時に私たちの心の中を飛んでいる。自由に飛ぶ「鳥たち」を見ることで、私たちの心も自由になる。

「私」がもっと成長したいと思って遠くを見る。するとそこに木がある。高くまっすぐに伸びようとする木。その木が「私」の心の中にも生まれ、育っていく。外界の木によって、内界の木が生まれ、「私」は成長していくことができる。

▲第5連
「心を配る」、つまり配慮をする。そのような心の働きがあると、心の中に外部の家がイメージとして生まれる。そして配慮が私の中で確固としたものとなる。

「用心」をする、つまり気をつけようと思う。すると、「私」の心の中に避難所がイメージされる。そこに引きこもることで、自分が自分でいられるようになる。自分を見失わないようにすることも必要だ。

「心を配る」「用心する」などの心の動きが、客観世界にある具体物の形をとることで、強化される。めざすことを実現することができる。

「私」に恋人ができたときには、「美しい生きものの影」、つまり恋人の映像が「私」に寄り添う。私の胸を恋人のイメージが満たす。

恋人が「心ゆくまで涙をながす」のは、自分を受け入れてくれる人を見出して大きな安らぎを得たからだ。安堵の涙を流している。

おわりに

少し無理なところもあるかもしれないが、えいやっと解釈してみた。

こうして見ると、やはり第4連が詩としてカッコいいなあと思う。みんながそこだけ引用するのもわかる。

また、最後の2行も詩人らしい美しい表現だ。

(見出し画像は、おかずさんの「ProcessingによるGenerative art作品#5」を参考にしています。)

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