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大石の思案(しあん)柱 その1(全3回)

今日、12月14日は吉良きら邸に討ち入りがあった日なんだ。今から300年くらい前のことだよ。元禄忠臣蔵げんろくちゅうしんぐらという事件があった日なのさ。

ポンと昔。江戸時代、元禄のことだよ。大石内蔵助おおいしくらのすけはね、岐阜県の大垣の竹島町の旧本陣わきにある清兵衛が営む旅籠屋たびかごや清貞きよさだ」に来ては長い事考え事をしていたと言うんだよ。いつもね、床柱に寄りかかっては腕組みをして思案投げ首でね、好きなお酒を飲みながらウトウトとうたた寝しながら考え事をしていたというんだよ。思案投げ首っていうのは、頭をだらんとして下を向いていることを言うよ。この内蔵助が寄りかかっていた床柱が有名な『大石の思案柱』と言われているのさ。

大石内蔵助ってね、播磨はりまの国、兵庫県赤穂あこう藩主はんしゅ浅野家にもう何年も代々仕えている家来のひとりだったんだよ。内蔵助は19歳で家老かろうとなって幼い当主とうしゅ赤穂藩の浅野内匠頭長矩あさのたくみのかみながのりを支えてきていたんだよ。

元禄14年(1701年)3月14日江戸城では徳川綱吉がとても大切にしていた儀式ぎしきがあったんだ。将軍はね毎年お正月に朝廷ちょうてい天皇へごあいさつの家来をつかわせているんだよ。そのお返しにと天皇からの使いが江戸城にちょうど来ていた時だったんだ。しかも、浅野内匠頭はそのおもてなしの係だったんだよ。34歳のことだよ。しかもよりによって吉良上野介きらこうずけのすけはそのおもてなしの方法を教える指南しなん役だったんだ。

今日はここまで!読んでくれて、ありがとう!続きは明日のお楽しみ!お休み、ポン!

#日本史 #江戸時代 #忠臣蔵 #赤穂四十七士

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