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南部利直(なんぶとしなお)公と小石 その2(全2回)

お殿様に命令された十蔵じゅうぞうはね、小刀といって短い刀を持って調理場まで行ってしばらく調理人の背中を見ていたよ。十蔵じゅうぞうはね勇気を出してふるえる手で調理人を後ろからりつけていったんだ。調理人はね背中から血を流しながらも、持っていた包丁で反対に十蔵じゅうぞうりつけてきたんだ。無我夢中むがむちゅう十蔵じゅうぞうだってり返したよ。お殿様の命令は絶対だからね。大人の力と大きな包丁さ。十蔵じゅうぞうはくるくると逃げ回ったけれど体のあちこちをられてしまったんだ。何しろ11歳の少年さ。さわぎを聞きつけて周りにいた調理人たちがやって来てね、十蔵じゅうぞうをかかえて他の部屋に連れ出して手当てあてをしてくれたんだよ。十蔵じゅうぞうに刺された調理人はね、かわいそうに血がたくさん出てしまって死んでしまったんだ。

このことはすぐに尾去沢鉱山おさりざわこうざんにいる十左衛門じゅうざえもんのところへ知らせがいったよ。十左衛門じゅうざえもんはそりゃもうびっくりしてね、早馬はやうま盛岡もりおか屋敷やしきに帰ったんだ。横になっていた十蔵じゅうぞうはね、たしかにお父さんの十左衛門じゅうざえもんの顔を見たんだ。にっこり笑ったって。そうして目を閉じていったんだって。十左衛門じゅうざえもんはね十蔵じゅうぞうの体をゆすってね、いつまでもいつまでも泣いていたって。十蔵じゅうぞう十蔵じゅうぞうといいながら泣いていたって。

十左衛門じゅうざえもんは周りの者たちからこのいきさつを聞くとね、利直としなお公に会ってね、抗議こうぎしたって。抗議こうぎって、文句を言うことさ。

「殿、いかに武士の子であってもまだ幼き者に人間の命をうばうようなことを命ずるとはむごすぎるではありませんか」

とね。そして、尾去沢鉱山奉行おさりざわこうざんぶぎょうをやめると言ってお屋敷やしきを出て行ってしまったんだ。

屋敷やしきを出た十左衛門じゅうざえもん尾去沢鉱山おさりざわこうざんに向かったのさ。そして、金山にしまっておいた南部藩なんぶはん巨額きょがくの黄金を持ち出してね、それを家来けらい40人ほどに背負わせると遠く和歌山県の高野山こうやさんに行ったというんだよ。

そうしてね、関ヶ原せきがはらの戦いや大阪の陣という戦いでは南部利直なんぶとしなお公は徳川軍の味方だったからね、十左衛門じゅうざえもんは豊臣軍に味方して南部藩なんぶはんにさんざん矢を打ち込んで行ったというんだよ。「南部の光り武者」と言われてね、徳川軍におそれられたんだって。十蔵じゅうぞうかたきを取りたかったんだね。

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#日本史 #江戸時代 #南部利直 #岩手県

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