ルーツ 赤門
東京大学の赤門。
この赤門が日本の大切な遺産だったなんてびっくりだよ。
ポンと昔。
文京区の東京大学本郷キャンパスの『赤門』はとっても有名。
東大と言えばこの赤門さ。とっても難しい試験に受からなければ入れない大学だよ。
今から400年くらい前。
江戸時代の時からさ。ここは加賀藩主前田家の上屋敷があった所だったよ。身分の高い大名たちが江戸に来た時寝泊りできるお屋敷を上屋敷といったんだよ。
明治10年(1877年)、江戸から明治になってからのこと。前田家がここを東京大学に譲り渡したんだって。その時からこの『赤門』はあったんだ。
これは『御守殿門』といってね、切妻造りの本瓦ぶき。長さは3軒だから、5m40cmの薬医門。門の両脇にはつなぎ塀。そして、唐破風の屋根を持ってる番所があるんだよ。
明暦3年(1656年)、江戸中が大火事で焼けてしまった明暦の大火の後から、この『赤門』を作る風習が始まったというんだよ。
将軍家の姫君が大名家に輿入れする時、お嫁さんになっていく時に大名家では、門扉や柱を朱色に塗って姫君をお迎えしたというんだ。
大名家が、徳川将軍の姫君をお嫁さんに迎えるってことは、将軍家と近い親戚になれる、身内になれるってことだよ。すっごくラッキーなことなんだ。いろんなことで良くしてもらえるからね。だからね、大名たちはお金を沢山かけて、立派な『赤門』を作ったよ。そうして、将軍の娘、姫君をお嫁さんに迎えたんだ。
文政10年(1827年)、11月27日、加賀13代藩主前田斉泰17歳のお嫁さんとして将軍徳川家斉の娘溶姫15歳が本郷にあった前田家の上屋敷に輿入れしたんだよ。輿入れってね、身分の高い女の人たちがお嫁入することをいうんだ。姫君は輿という乗り物に乗ったままお屋敷の中に入って行ったことから『輿入れ』といわれるんだって。
その時に作られたのがこの『赤門』だったんだ。
昔は、将軍家と縁戚となった大名屋敷に赤門は作られたんだけど、今では、この東京大学の『赤門』だけが江戸時代の文化を伝えてくれているんだ。
200年前、溶姫を迎え入れてくれた『赤門』は、今日本を担ってくれる若者たちを迎え入れているんだね。
最後まで読んでくれてありがとう、ポン!
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