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大石の思案(しあん)柱 その2(全3回)

この日、間もなく儀式がはじまろうとしていた時のことだったよ。午前11時ごろのことさ。江戸城松の廊下で大石内蔵助のお殿様だった赤穂藩主の浅野内匠頭長矩がいきなり、短い刀を抜いて
「この間の遺恨いこん覚えたるか!」
と叫んで吉良上野介義央よしひさ(よしなかとも読む)を後ろからりつけた。ビックリした吉良上野介は思わず振り返ったところをね、そのおでこを斬りつけられてしまったよ。しりもちをついてしまった吉良上野介ははうようにして逃げたんだよ。そこをまた右肩から袈裟懸けさがけに斬りつけていったというんだ。そこで周りの人たちが止めてくれたんで吉良上野介はケガはしたけれど命は助かったんだ。遺恨とはね恨みのことさ。ひどい意地悪をされたことだよ。

将軍徳川綱吉はねそりゃ怒ったさ。大切な儀式を台無しにされてしまったんだからね。すぐにね、綱吉から命令があったよ。浅野内匠頭は切腹、赤穂藩は取りつぶし、お家断絶いえだんぜつ。吉良上野介はおとがめなしってね。その日のうちに5万石のお殿様だった浅野内匠頭長矩は庭先で切腹したんだ。お腹を斬っておびをしたんだね。赤穂藩取り潰し断絶っていうのはね、赤穂藩全部を徳川家の仲間から追い出すってことなんだ。だから、今まで暮らしていた赤穂藩の人たちはお城から出て行かなければならなかったんだ。突然に追い出されちゃうんだから困ってしまったよ。そして、吉良上野介にはお咎めなしってね。何のばつもないってことなんだよ。

この時代はね喧嘩両成敗けんかりょうせいばいって言ってね、喧嘩するにはどちらもおんなじように悪い所があるから喧嘩するんだよっていうことでね、どちらもおんなじように罰を受けるのが普通だったんだ。だけれども吉良上野介には罰がなかった。赤穂藩のみんなはそれはずるいじゃないかって思ったんだね。不公平じゃないかって思ったんだね。だけれどお家断絶さ。間もなくお城をキレイに片付けてみんな出て行かなくちゃならなかったから赤穂藩の人たちはあちこちへと散っていくしかなかったんだ。

今日はここまで!読んでくれて、ありがとう!明日はいよいよ最終回!お休み、ポン!

#日本史 #江戸時代 #忠臣蔵 #赤穂四十七士

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