アウシュビッツに行ってきた

北欧旅行中、合間を縫ってポーランドまで飛び、アウシュビッツ博物館・強制収容所跡を見てきました。ずっと来たかったけど、なかなかひとりで行く勇気が出ずだったのです。

ポーランドの古都クラクフを滞在先に選びまして、ちゃっかり観光もしてきた。ヴァベル城やヴィエリチカ岩塩坑(かなり初期に登録された世界遺産とのこと)良かったです。古い街で田舎でのんびりした時間が流れる。ユダヤ人地区があるので、Jewishのモニュメントが街中にいくつもある。シナゴークやセメタリー(お墓)、ユダヤ人博物館も見学してきました。クラクフはシンドラーのリストのロケ地でもあります。

アウシュビッツまではバスで2時間弱。

アウシュビッツ収容所跡はオシフィエンチムというポーランド南西部の都市にある。ちなみに、Auschwitz(アウシュビッツ)は、Oświęcim(オシフィエンチム)のドイツ語読みだそう。




ここで少しだけ歴史を振り返っておきたい。

ソースはhttp://auschwitz.org(アウシュビッツの公式ホームページ)と現地で案内してくれた英語のツアーガイド・キャメロンが話していた内容からです。(どっちも英語なので、解釈間違ってたらごめんなさい…。)




ドイツでナチスが台頭したのは1930年。世界恐慌の後の経済の落ち込みで国民の不満がたまっており、その調節ができなかった社民党の内閣が総辞職。それに伴い行われた選挙でナチスは、「すべてはユダヤ人のせいだ。ユダヤ人はキャピタリスト(富と権力を手に入れたもん勝ちみたいな思想資本主義者)であると同時にコミュニスト(みんなで一緒に頑張ろう的な共同主義主義者)だ。ユダヤ人を力のあるポジションから取り除き、経済への影響力をなくすべきだ」と主張し、ドイツ人の心をつかんだ。対抗馬だった共産党は当時の社会のキャピタリズムの仕組みの矛盾を指摘したのだが、これが小難しくて抽象的で大衆の支持を獲得できなかった。

ナチスの思想は、「人種には優劣があってドイツ人(ゲルマン系)が一番優れている。ユダヤ人やジプシーは最も取るに足りない人種。またスラブ人(ソビエト・ポーランド・チェコスロバキアとか)も劣等人種」といったもので、人種に明確なヒエラルキーがあった。また、ヨーロッパでドイツが覇者であるべきと考えていた。人種の優劣についてはナチスを支持したドイツ人の中でも科学的な証拠があるとすら考えていた人もいる。

その後、その他の勢力が弱体化し、1933年にナチスが政権を掌握。ヒトラーの独裁が始まる。

ユダヤ人の人権を制限する法律が次々と施行される。ユダヤ系の店へのボイコット、公民権の制限、公的機関からユダヤ人の追い出し、人種間結婚の禁止、ジャーナリストやアーティストとして活動することの実質的な禁止(ユダヤ人が書いた書物は公衆の面前で燃やされた)、教育享受の制限などなど。

そしてホロコーストへ。

ユダヤ人の強制収容所への輸送が開始されたのは、ユダヤ人の就労制限を規定する法律が施行された1938年あたりのこと。ユダヤ人の虐殺が強制収容所内で始まったのは1941年の終わり頃とされ、1942年より本格化する。final solution of the Jewish question(ユダヤ人問題の最終的な解決)として、ヨーロッパ大陸のユダヤ人1100万人を絶滅させるという計画が決定されたのだ。1942年に、ゲットー(ユダヤ人強制居住地区)といくつかの収容所の閉鎖が始まる。これに伴いゲットーのユダヤ人たち(例えばワルシャワのゲットーには30万人のユダヤ人が住んでいた)や収容者は、短い期間でアウシュビッツ等の収容所のガス室へ輸送され、その多くが約半年の間に処分された。他の収容所が閉鎖されていく中でも、アウシュビッツは殺人工場として1945年初頭まで機能していた。収容所内では、ガス室での殺害だけではなく、奴隷労働、餓死、病気、拷問で命を落とす人もかなり多かった。

アウシュビッツ強制収容所はもともと1940年の春、侵略したポーランドの逮捕者を収容する場所が足りなくなってきたから建てられた(場所は、ポーランド人の家屋等を破壊して確保した)。このころはまだ収容者はポーランド人がほとんどだった。収容所は侵略したヨーロッパ各地に40程つくられた。当初はポーランド人の収容者が主だったのだが、ユダヤ人の輸送が始まるとすぐに収容所内のマジョリティはユダヤ人となった。虐殺は主にいくつかの収容所に設置されたガス室で行われた。ビルケナウ収容所(アウシュビッツⅡ)が最も多くの人を殺し、有名である。

この数年の間にナチスによりアウシュビッツ強制収容所へ送られた人は低く見積もって概算で110万人。内訳はユダヤ人100万人、ポーランド人7~7.5万人、ジプシー2.1万人、ソビエトの戦犯1.5万人、その他1~1.5万人。虐殺されたユダヤ人の総数は500~600万人とも言われる(ウィキペディア情報ですみません。資料が残ってないので、犠牲者総数は推定だそう)。






さて現在、収容所跡はツアーでしか見学できないので、英語のツアーに参加してきた。ちなみに中谷さんていう日本語のガイドさんもいるらしい(地球の歩き方に載ってました)。

この時期ちょうどヨーロッパは灼熱だったので、ほぼずっと野外で行われる見学ツアーの時間が30分くらい?短縮になった(ちょっと残念)。

行きのバスでまあまあ酔ってしまったことと、暑くてバテてたのと、英語のツアーだったので理解度が70%くらいだったのと、グループでの見学だったことで、恐ろしさが少し緩和された気がします。

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ここが収容所唯一の入り口。ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)との文字…。

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強い電流の流れる鉄線が張り巡らされてて出られないようになっている。

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使用済みガス缶…

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鉄とか原料になりそうなものは殺害される前に回収されていたよう。ユダヤ人等がつけてた義足とか。

あと、写真禁止だったけど、ユダヤ人の髪の毛(女の人が後ろでおさげ1本作ってるやつを切り落としたやつ)が横幅6メートルくらい?のガラスケースにびっしり積まれている展示が生々しくてぞっとしました。アウシュビッツは、例えば原爆ドームみたいに建物自体が恐ろしさを保存している訳ではないので、う~ん実を言うと見学している最中はピンと来ないことが多かった。

考えてみると、アウシュビッツは殺人工場だったけどその現場や殺害された人たちを今、目撃する訳じゃないから、目に映るのは主に広大な土地と簡素な建物。そして遺品の展示。ホロコーストとは何だったのかを理解するためには、自分でよく考え、よく勉強しないといけないなと思った。

また、危機感を持った。遺跡化していて、生々しさをあまり感じられなかったから、このまま風化してしまうんじゃないかと。現地に来てみたらもっとゾッとして恐ろしさをありありと感じると予想していた。でも、見学中はそこまで感じなかったんです。

風化するのはまずいので、見学して終わり!じゃなくて日本へ帰ったら、今一度歴史を振り返ろうと思ったのでした。

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アウシュビッツ内の囚人の部屋





続いてビルケナウ収容所(アウシュビッツⅡ)へ移動。アウシュビッツというのは複合の収容所の総称で、拠点のキャンプが有名だけど、規模で言うとこのビルケナウ収容所の方がよほど大きく、約20倍。無料のシャトルバスで運んでくれる。ちなみにアウシュビッツⅢはモノヴィッツ収容所で主に技術系の強制労働をさせる場所だった。現在は残っていない。

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ビルケナウ収容所の入り口、通称「死の門」。

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ビルケナウ収容所は、後に、ユダヤ人虐殺のメインの場所になった。写真の列車にぎゅうぎゅうに詰められて運んでこられたユダヤ人やその他捕まった人がこの門をくぐったのち、ナチスの役人から「セレクション」を受ける。左か右の指さされた方向へ振り分けられるんだけど、門を背にして左側が「強制労働」、右側が「処分」=ガス室行きです。

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上の写真が、「処分」を待つ人を収容していた木造の小屋。木造だったので劣化が激しく、あまり形が残っていない。収容所跡を負の遺産として保存しようとしたころには時すでに遅かったらしい。

下の写真は「強制労働」させられる人達の住居等。ビルケナウ収容所の方が強制労働(ガス室での虐殺も)が大きく行われていた。規模が大きいから。アウシュビッツで殺された人のうち90%は、ビルケナウ収容所で殺害された。

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この2枚の写真は、「処分」を待つ人達が寝かされていた小屋の内部。だいたい1段に6人くらい詰めて寝かされ、5日程度でガス室行き。連行された人たちは心身共におかしくなっている人も多く、糞尿垂れ流し…そもそも1日2回しかトイレは許されなかった。連行された後、強制労働ではなく即処分される人は主にユダヤ人・女性・子ども等だったそうです。

現地の環境を少し想像してみて欲しい。ポーランドの冬はめっちゃ寒い(マイナス20℃とかあり得る)。十分な衣服や毛布を与えられる訳もないので、どんな環境で死を待たされていたのか…

実際、収容所内で亡くなった人の中では、ギリシャやイタリアといった温暖な気候に慣れている人が多かったらしい。冬の寒さを乗り越えられずに。

それから、ガス室で虐殺された人の他にも、過酷な強制労働で衰弱、餓死、不衛生で蔓延する病気、拷問で亡くなった人も多い。また、収容所内では見せしめのために吊し上げや射殺も時折行われ、人体実験(餓死させる部屋があったり、細菌実験だったり)も行われていた。

…酷い人体実験だったら日本軍も731部隊がやってたことを思い出した。

収容所へ連行される人は徐々に増えていったが、ナチスは世間体を気にしていたので、大勢の人間を収容所へ連行する表向きの理由は「移住」だったらしい。アウシュビッツが解放される時、ナチス親衛隊は文書やガス室を燃やし内部で行われていた数々の罪の証拠をなくそうとした。他にもナチスは、収容所を閉鎖する際は、跡形も残らないようにしていた。戦後、ホロコーストが行われていたことやガス室の存在を否認するホロコースト否認論者も出ている。それに対し、ドイツやフランスなどはホロコースト否認禁止法という法律がある。言論・思想の自由を制限する法律の存在に、ホロコーストがいかに重たく捉えられているのかを知ることができる。




見学時間は2時間半くらいだったかな。一日かけたスタディツアーもあるから、いつか参加したいと思う。お天気が良すぎて収容所跡地の草原の若い緑がきらきら、きれいだった。さらに暑くてバテてたので、万全の状態でアウシュビッツ見学できなかった気がする…。

冬に来た方がこの恐ろしい場所の恐ろしさが感じられるのかもしれない。

アウシュビッツについては、だいたいの人がある程度の概要は知っているけど、実際来てみて展示や遺跡を見ながらツアーガイドさんから聞く話はもっと具体的で、教科書に書かれていることだけでは足りないなと思った。

旅行ってだいたいはリフレッシュとか楽しみに行くもの。だから、こんなどう頑張っても楽しくなれない場所を訪れる人は多数派じゃないだろうけれど、見学しておくことは、必要なことだと思う。歴史から学ぶことはたくさんある。

私はアウシュビッツは一度は見ておきたい、歴史から学ぶために訪れました。せっかく日本語のガイドさんも居るみたいだから、一度足を運んでみてはいかがですか…!






アウシュビッツ見学を終えて、日本のことをちょっと考えてみた。人種差別に触れる機会が少ない日本人にとってホロコーストやアウシュビッツというのは遠いものかもしれない。地理的に実際遠いので簡単に訪れることもできない。

でも、実はそんな日本人ほど、普段考えない日本人ほど、自覚のない日本人ほど、人種や民族に優劣をつける考え方に賛同してしまう危険性が高いのでは、と思っている。

ナチスが行ったユダヤ人に対してのヘイトスピーチ。当時、反ユダヤ主義は既に存在していたので、煽られてナチスを支持する人がたくさんいたのだ。ドイツ人は人種的に優れていると思っていた人やドイツがヨーロッパを統べる覇者であるべきだみたいな考え方が当時支持を得たことは事実だ。

日本で、特によく聞く韓国人と中国人嫌いっていう意見。ものすごく頻繁に聞く。支配と被支配だった日韓の歴史とそこから来る双方の感情、マナーの悪い中国人の話。あと、韓国や他のアジアの国々より「日本は優れている」と信じたい人が一定数いるな、と思う。

そして、そういう人が多いことを危惧しています。

誤解を恐れずに言うと、私も韓国人も中国人も嫌いなんです。ただし、それはあくまでgeneral(一般)に対してであってindividual(個人)には一切言及していない。一人一人違う人だからね。

generalというのは存在する。同じ法の下同じ国で同じ教育を受け、同じ風土で同じ文化や慣習の中で育った人の間には多かれ少なかれ共通するものはある。外国人と接している時、自分自身のそれは、より鮮明に強く感じられる。自分が日本で生まれ育った日本人であることを痛感するのである。

私が中国人や韓国人を嫌いというのは、その文化や慣習の一部を好きではないという意味であって、国籍や人種で人間をカテゴライズして画一的に全員嫌いと言っているのではない。要するに文化や慣習・教育によってつくられた行為が嫌いなのであって、その人を嫌いなのではない。今はその区別がついてるので、たまに中国人や韓国人と喋る機会あるけど、余計な先入観(この人中国人か~好きじゃないな~みたいな)を持たずに個々人と会話することができるようになった。

結局、人種や国籍は関係ない。同じ人間だから。どの国にもいい奴も悪い奴もいる。

日本人が、韓国や中国を批判するときに韓国人が~中国人が~と言ってその行いを糾弾するとき、先に述べた「行為と人の区別」がついていないんじゃないかと感じることがよくある。人種や国籍といったカテゴリーを批難するのは差別じゃない?その思想、危ない。

最近とくに嫌韓ムードが高まっているけど、これまで日本が韓国にしてきたこと、できる限り正確な情報を手に入れる努力をした人や、自分なりに考えて来た人は果たしてどのくらいいるのだろう。

例えばドイツは、戦後教育として徹底的にナチスやヒトラー批判をして自分たちの行いを反省する教育をしてきたことに対して、日本のそれは不十分だと言われている。この話はかなり昔にも聞いたし、今もなお耳にする。韓国人が事実だと思っていることと日本人が事実だと思っていることには随分大きなズレがあると思う(どっちの教育も正しいかどうかは分からないけれど)。

私も、学校教育で習ったことに毛が生えたくらいしか知らないので、もう一回ちゃんと歴史(というか史実)をさらおうと思っている。自分自身が日韓関係について事実に基づいた正しい認識を持っている自信がない。日本の教育もマスメディアの報道も偏っていて信用できない。外から入ってくることすべてを鵜呑みにはできない。学びは自分から。

そんな訳で、私が中国人や韓国人を嫌いというのはそこで行われている行為や育まれてきた文化慣習の一部を嫌い/理解できない/相容れない/良いことだとは思わないという意味なんだけど、「人と行為の区別」がついていない人にとっては○○人を嫌いというとそのまま、そのカテゴリーの人達をヘイトしていると捉えられてしまう。

罪を憎んで人を憎まずが大事だと思います。

受動的に入ってくる政府やマスメディアが流している情報だけで、「なんとなく」韓国嫌いって思っている人。「なぜ」嫌いなのかを自分の中に根拠を見つけるまで考えないと。本当に根拠があるのかを見ないと。そして、たとえ嫌いだと思ったとしても、そのまま「人」にその感情を当て込んでヘイトしないこと。

大事だと思います。

私も、○○人といって大きく括って主語にして話をはじめることが時々ある。たくさんの要素が詰まった概念にひとつの名前がついていると毎回説明しなくていいし、便利だからつい使ってしまう。けど、上に述べたようなこと(人種やら国籍やらで"個人"を判断してしまうこと)に不意につながることがあるので良くないな、やめた方がいいかな…と思いつつ、つい使ってしまう。





最近、ホロコーストの歴史をちょっぴりお勉強しましたが、こんな悲惨なことない。本当に。

ポーランドの学校では、アウシュビッツ見学ツアーをするらしい。私らが学生の時、広島や長崎を訪れるみたいな感じかな。

ポーランド滞在中、語学学校の同級生だったポーランド人(彼女はカトワイズという比較的アウシュビッツに近い都市に住んでいる)が、私のインスタのストーリーを見て連絡くれたんです。アウシュビッツに行くと言ったら、「アウシュビッツは、人間がどれだけ他人に対して残酷になれるかを学ぶための歴史上の重要なポイント。二度と繰り返してはならない」と。私が、帰国したら周囲の人にアウシュビッツのこと話そうと思うというと、「それはパーフェクトなアイデアだね」と言ってくれた。

背中も押してもらったので、文章にして残しておきたいと思います。

そして、歴史を学んでその反省を踏まえて今を生きる!

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