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久高島で2024年の立春を迎えて

気がつけば。
2024年2月の半ばに…
このnoteの位置付けをどうしようかと考えながら、迷っている間に放置してしまいあっという間に1年間。
ちょっと反省しまして月に1回とか2回の更新になるかもしれませんが、セルフマネジメントやマネジメント、仕事に関して感じていること、人の在り方、生き方等について書いていこうかと思います。どうも何かを感じて伝えたいと思った時にしか文章にできない性分なのだなと改めて思ったので。
アメブロもゆるゆると書いているのですが、そちらで書いていた過去の記事から再編集して掲載する場合もあると思います。


さて。
いよいよ「風の時代」も本番と言われるようになって。
そう言われるようになってきたこと自体が時代が変わってきてるんだなぁと感じる今日この頃です。


何故なら。
数年前までは、そんなことを言っていたら悪い意味で「スピ系」って言われてたと思うのですよね。
それが、結構多くの方が普通に使っている。これって時代が変わってきていて、多くの人が、そういう感覚を共有し始めたというか、時代の変化を感じているからなのだろうなぁ、と思うわけです。


そんな中で、2月3日節分から沖縄に行ってきました。

ちなみに「節分」とは文字通り「節を分ける」という意味で、太陰暦における昔から季節の変わり目に言われている二十四節気の「節」が変わるタイミングのことなのですが、特に季節が冬である「大寒」から一年の始まりとなる春になる「立春」への変わるタイミングを「節分」と呼ぶことが一般的です。
日本においての太陽暦でいうところの大晦日みたいな日ですね。



なぜ、そのタイミングで沖縄に行ったのかというと。
立春に神々の島とも呼ばれる久高島を訪れたいと思ったからなのです。

久高島の聖地の一つ「ハビャーン(カベール岬)」



神の島と言われるだけあって、ただ海が美しいだけではなくて、何とも言えない空気に包まれていた場所。

帰ってきてからも、なんだか身体が軽くなったような、ふんわりと包まれているような、知らない間に背負っていた何かが祓われたような身軽になった不思議な感じ。


自然の力って本当に大きいなぁと思うと同時に。
琉球を創った創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという琉球神話の聖地の島であり、観光地としても有名な沖縄本島最高の聖地とされた斎場御嶽は、琉球王朝の国王がこの久高島に巡礼するために造られた祈りの場とされ、そう語り継がれるだけの意味があるのだなぁと訪れて改めて感じたのでした。


海の色が美しく、そして波音が心地よい


特にアマミキヨが降り立ったとされる島北端のカベール岬は、風に吹かれて波音を聴きながらずっとそこに居られると感じられる、なんとも気のよい場所でした。



さて。
これだけを書いているとただの旅行記になってしまうので、改めて感じたこと、考えたことを書こうかと思います。




先に触れましたが、「風の時代」という言葉が違和感なく受け入れられてきているように、時代の価値観も変化し、多様な価値観が少しずつ受け入れられるようになってきました。

以前なら白い目で見られたり、無いものとして扱われていたようなことも、まだまだハードルが高かったり差別をする人がいたとしても声に出して言えるようになってきていたり。そしてそれを受け入れ、応援する人も増えてきたり。何よりも誰かが声をあげなければと、声を上げることを使命と感じ自分をありのままに表現する人が増え、それを社会が受け入れるようになってきていたり。


日本の場合は若干極端な方へ触れる傾向があるような気もするけれど「ハラスメント」という言葉が認識され、当たり前のことである、相手が嫌がること、相手を押さえつけることに対しての認識が変わり、少しずつ声を出せるようになってきたり。

幸せの基準が単にお金を稼いだり贅沢をしたりすることではなく、人の繋がりの中であったり、自然との共存の中に感じる人が増え、今日本の課題になっている都市への一極集中の動きだけではなく、地方都市で改革を進めたり変化し始めている動きが見えてきたり、地方へ移住する人々が現れたり。

少しずつ、多様な価値観が生まれ、それが広がり始めていることを私自身も感じています。
そしてそれに「そうだよね」と共感する人が増えてきているなぁ、とも感じます。



今回、私が久高島を訪れたきっかけになった台湾にも遊びに来てくれていた友達夫婦も、首都圏に住み、一流企業で働いていたけれどもその会社を辞め、昨年久高島が目の前に見える南城市に移住し、とてもとても幸せそうに、そして楽しそうに過ごしていました。何よりも表情が柔らかくなっていました。




きっと時代が変わる時って、一気に変わるわけではなく。
どちらかに大きく触れて、そして反動で揺れ戻しがあったりもしながら、ゆっくりと大きなうねりのように変化していくのだと思うのです。

尊敬する大先輩が話していた

「良きこと程、変わっていくことに時間がかかる」

というのは本当にその通りだと思うのですが、風の時代と言われるこれからは、その変化ももっとダイナミックに、もっとスピード早く変化していくことになるのでしょう。





そしてもう一つ感じていることは。

「風の時代」と様々なところで語られているけれど、先に書いたことと繋がってくるのだけれども、浮き足立つわけではなく、軽やかに動けるようになったのかもしれないなぁ、と。



軽やかに動けるようになったということは、多様な価値観が受け入れられるようになり、制限が少なくなってきた。
もしくは価値観によって無意識のうちに自分にかけていた制限に気づき、自分でその制限をはずして動けるようになってきた、ということなのだと思うのですが。

それはそれで、自由には責任がセットであり責務が発生する様に、軽やかに動ける分、セルフマネジメントが出来ない人にはかえって厳しい状況になるのかもしれない。

そう感じています。



自由を与えられた瞬間に、その自由を持て余し。
もう少し分かりやすくいうと、仕事において自由になりたいと会社を辞めたものの、与えられることに慣れてしまい自分自身で仕事をつくりだすことが出来なかったり、守ってくれる人がいなくなったことに不安を必要以上に感じたり、メンタルを保てなくなったり、自身がなくて立ち止まったまま動けなくなったり。

この表現が適切かどうかはわからないのだけれど、ずっと足に足枷を繋がれていた象が足枷が無くなっても繋がれていた範囲でしか行動ができないように、自由になったのに自分で自分に制限をかけて行動を広げられていない人も多いなぁと感じるのです。

時間の自由が欲しくて会社を辞めたけれど、自分で稼ぐことがしんどくなってしまい結局会社員に戻った友人もいます。

それは、自分がどういう環境において自分らしくいられるのかを自分自身が知らなかったからなのだと思うのです。

「隣の芝は青く見える」と言われるように、横から眺めていると羨ましく見えていても、実際にその場に立つと違った面が見えてくる。
自分自身を合わないところに押し込めて、そのままずっとそこにい続けていると麻痺してわからなくなってくる、ということもあると思います。


決して辞めたことが悪いわけでなく「辞めてみて初めてわかったことがある」「行動してみて初めてわかったことがある」ということを受け止めることが大切で、それを受け止めて次にどうしていくかが大切なんだろうなぁと。

何が正しくて何が間違っているのかではなく、何が偉くて何が偉く無いかとかでもなく、「自分にとっての人生の正解を自分自身で創っていく大切さ」、そんなことを改めて感じたのでした。

他の人が代わりに人生を創ってくれるわけではなく、あくまでも自分で決めて自分で動けなければならないのだから。




小さな島なのに、場所によって海の色が全然違う不思議






久高島で風に吹かれつつ海を眺めていたら、そんな事を問われている様な。
それでも一歩踏み出すことを決めたのであれば、応援してもらえている様な。
そんな自然の力を感じた時間でもあったかなぁ。
そう、改めて感じています。






自分の中でどうするのか決めたら、いろんな事が動き出した。
今はそんな感覚で過ごしています。

あとは、自分自身でまた新たな一歩を踏み出す。
そのちょっとした覚悟と行動が、どこまで連れて行ってくれそうな、そんな気がしています。



きっと。
パンデミックが終わって本格的に世界が動き出し、様々な場所で歪みが良くも悪くも表面化し、AIが急激に発展し、色んなことが急激に動き出して情報が飛び交い錯綜している中で、自分がどうしたいのか、どうありたいのか、何をしたいのか、誰と居たいのか、どう生きたいのか、そのような基本的な問いに答えられることが求められている、大きな宇宙の流れの中で、流れに乗りつつも自分の人生の舵を自分でとる覚悟をより深く問われている世界を私たちは生きているのだなと思った場所でした。



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