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だいぶだいぶ遠い日の記憶


誰だかのFacebookで書かれている文章をみて、ふと思い出したことがある。

今では遠く遠くなった日々は、私にとってとてもとても苦しいもので。

外側から見ていたら全くそんな風には見えなかったのだろうけれども、なんとも言えない感覚で生きていた。

深い海の底に錘をつけて沈められ、遠い上の方にはなみのゆらめきによる光が時折見えるけれども、手を伸ばせど伸ばせど遠すぎて届かない。もがいてももがいても錘は外れず海面には遠く届かない。

そんな感覚で日々を過ごしていたことがあります。

それは何年も何年も長い間そうでした。

そんな生活の中でも笑うこともあったし、楽しいこともあったけれども、自分の中の何かが、魂が、解放されずに閉じ込められている。そんな感覚だったことを今なら思います。


きっと人は。

表に出さないだけで、誰しもそんな思いを抱きながら生きているのだろうと感じます。必死にもがきながら、苦しい思いも、しんどい思いも抱えながら、それでも目の前の笑顔と、目の前の喜びを大切に感じながら、日々を過ごしているのだろうと思います。突き抜けるように幸せに見える人もいるだろうけれども、そんな人にも、やはりずっとそうだったわけではなく、見えないところで苦労も大変なこともあったのだろうと。

物事の捉え方次第で、人生は変わるはず。

もしかしたら、私が錘とともに海に沈められていたと感じていた時も、それもまた幻想だったのかもしれないけれども。


それでも。

その時の感覚と思いがあるからこそ、今が、本当に幸せだと感じるのです。

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