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映画『スリービルボード』レビュー 〜それでも、行き場の無いやるせなさの出口は何処に〜

<あらすじ>
米国ミズーリ州の片田舎の町を舞台に、娘を殺された主婦が、犯人を逮捕できない警察に業を煮やし、解決しない事件への抗議のために町はずれに巨大な3枚の広告看板を設置する。それをよく思わない警察や住民と主婦の間には埋まらない溝が生まれ、いさかいが絶えなくなる。そして事態は思わぬ方向へと転がっていく社会派ヒューマン・ドラマ。

白か黒か。
善か悪か。
正義か不義か。

人々はいつも、オセロのコマをどちらかに裏返そうとする。
裏返ったオセロの色の数で勝利を実感するまでやらないと気がすまない。

もちろん、自分自身に関わることならば、どこまでも闘うことは理解もできるが、見知らぬ誰かの代理戦争までやってのけるのだから世の中はいつも忙しい。

しかし、人々は裏返ったオセロのコマの色まで吟味することはないのかもしれない。

見た目が白が何個で、見た目が黒が何個なのか。
そんな事で、勝ち負けを決めた気になってしまう。

でも、裏返ったオセロのコマの色は、白と黒だけではなく、様々な色がマーブル状に溶け込んでいることがある。本来であれば、誰にもジャッジできない色の深みがあるものなのだろうに....。

そんなことを考え、心がイラつく事もしばしばあるのが、実にはがゆい。

世の中には、誰にも裁けない。
誰にも理解されないことがある。

白でも黒でもない、その複雑な色を眺めながら、人間とはどんな生き物なのだろうかと、思いを馳せる。

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映画『スリービルボード』は、アカデミー賞の前哨戦であるゴールデン・グローブ賞で作品賞、脚本賞、主演女優賞を受賞した作品だ。公開当時は、アカデミー賞の賞レースにのった目玉作品であった。

沢山の賞を受賞しただけあり、その秀逸な脚本と丁寧な台詞回しは絶品で、しごく分かりやすく感情移入しやすい場面描写は文句の付け所がない秀逸な作品だ。

特に登場人物のキャラクターは念入りに練り込まれ、それを見事に演じてみせた俳優陣の素晴らしさは、映画好きなら唸ることだろう。多くの賞を受賞したのが頷ける。

あらすじは、米国のミズーリ州の片田舎で、殺された娘の未解決事件の警察の責任を追求する母親の物語だ。警察が犯人を捕まえられない事に意義をとなえ、3枚の野立看板広告(スリービルボード)を立てる。そこにかかわる地元警察の面々と広告代理店のオーナー、そして息子や元夫などとの関わりを丁寧に描写することで、関わった人びとの苦しみや怒り、そして、米国社会の縮図を投影した物語になっている。

ゴールデン・グローブ賞で脚本賞を受賞した実績のとおり、とにかく脚本が秀逸で、台詞の一つひとつは、登場人物の背景や浮かび上がるような構成になっていて、物語を進行させていく上でも良い働きをし、すこぶるスムーズに進行していく。

映画の中の人種差別と警察組織の問題は実にやるせないのだが、結局、ぶつけようのない怒りとやるせなさだけは最終的に、どこにも行き場がない。

結局、母親の苦しみと自分に対する怒りだけは昇華できず不完全燃焼の後味が残っり、最初に感じた事件への悲しみと怒りと切なさの感情の整理の仕方が分からず、感情の行き場がなくなってしまった。

誰が悪くて、誰の責任なのか。

白か黒か決着つけるようなものではなく、それぞれの立場で罪を赦し怒りを鎮めるお話である。

しかし、行き場のないやるせなさを処理するために、やはりどうしても、モヤモヤした色のオセロを返したくなる衝動にかられてしまう。

わたしもまた、結局、答えばかりを求めてしまう騒がしい世の中の一人なのである。


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