うた子さん (第6話)
「えっ、それでお前はどうしたんだ」
「結局、声はかけられなかったんです。ただ一人にしておくのは不安だったので、うた子さんが帰るまで見てました」
「そうか、大変だったな。しかし、そんな時間に一人で公園のベンチにねぇ、何かあったんだろうな」
「はい、たぶん」
うた子は、あまり眠れないまま朝を迎えた。
今日は部屋の掃除をしたら、ヒロ太を探しに出てみよう。
そう思った時、携帯が鳴った。
「はい、もしもし」
「……」
「あのね、悪戯なら切るから」
「……よ」
「何?もっと大きな声で話して」
「都会の方が田舎にいるより稼げるだろう?今から行くから、俺の『モノ』を可愛がってくれよ、クク」
ピッ
うた子は携帯を切ると、布団の上に投げた。
「暇人。バーカ」
電話番号を変えても、時々この手の電話がある。
最初は不安で仕方なかったけど、もう慣れてしまった。
こんなヤツにわたしの気持ちを振り回されたくない。
「うた子ちゃん、おはよう」
狭い庭の方から声がした。
「は〜い、いま行きますから」
窓を開けると、向かいの奥さんだ。
「早くに押しかけて悪いわね。これ息子が取った、会社のビンゴ大会の景品なんだけど、良かったらうた子ちゃん、どうかしらと思って」
そう云うと奥さんは、有名百貨店の袋から、ワインを取り出した。
「結構、高価なワインらしいんだけど、家では呑める人間がいなくて。うた子ちゃん、どう?」
「ワインは全然、詳しくないですが時々安いのなら呑みます。これは高そうですね。しかも赤と白が1本ずつ。ご家族全員がお酒は呑まないんですか?」
💼🎒
「ビールなら少しだけ呑めるんだけど、ワインは駄目なの」
「こんな高級そうなのに、頂いていいんですか?」
「もちろんよ、助かるわ。秀雄さんも独りで亡くなったから気の毒で。孤独死っていうんでしょう?叔父さんにも、お供えしてあげてね。あ〜良かったわ。じゃあまたね」
奥さんからのワインを持ったまま、うた子は立ちつくしていた。
「……孤独死ってどういう意味。叔父さんは孤独なんかじゃなかった。大好きなヒロ太が一緒で、楽しく暮らしてた。叔母さんが生きてた時だって、仲良く生活してたわ」
独り暮らしのお年寄りが亡くなったら皆んな孤独だったんだと、いつから決め付けるようになったの?
「あなたに叔父さんの生活の何が分かるっていうのよ」
うた子は悔しさが込み上げた。
そしてキッチンに行き、ワインの栓を抜いて、全部流そうと思った。
でも、そういえば……。
店長が顔に似合わずワインが好きなんだった。
今夜お店に持って行こう。
「なんだか掃除をする気が失せちゃったな」
うた子は畳みに寝転んで、天井を見つめた。
💼🎒
その頃、一誠は窓から、行き交う人々や車を、なんとなく見ていた。
何故だか谷村に訊いてからずっと、うた子さんのことが頭から離れない。
何かがあって、長野から東京に来たのだろうか。
「羽根田主任」
いきなり谷村に声を掛けられて、一誠はハッとして振り向いた。
「すみません、驚かせて」
谷村がすまなそうに見ている。
「いや、俺の方こそ、ぼんやりしてた。謝らないでくれよ、ビビリなのがバレちまったな」
一誠は照れ笑いをした。
その様子を見て、谷村はホッとしたようだった。
「なんだい?仕事のことか?」
「あ、いえ違うんです。勤務時間内なのにと思ったんですが、主任は今夜は何かご予定はありますか?」
「いや、今のところは無いよ」
「もし良ければ、僕と『ケナシーワルツ』に寄らないかなと」
「谷村も気になるよな」
「はい……」
「俺もなんだ。一緒に行こう」
「ありがとうございます。では6時にロビーでいいでしょうか」
「そうしよう、声をかけてくれて、ありがとう」
谷村は、お辞儀をして戻って行った。
「よし!時間までは、仕事仕事」
一誠は取引先に電話をかけ始めた。
気持ちは、ケナシーワルツに飛んでいたが。
💼🎒
「ねぇ、外を見て」
「外?わっ!真っ暗!土砂降りのパターンの空ね」
「降るなら早く降って欲しい。帰る頃はやめてほしいわ」
女子社員たちが不安そうに話し始めた。
うた子も空を見上げていた。
「降りそうね。ヒロ太を探しに行くのは、止めた方が良さそう」
そしてポストを見に行った。
たいていが広告しか入ってないので、放っておいた。
案の定、ポストの中は広告や勧誘の封筒が溜まってゴチャゴチャだった。
うた子は、それらを全部取り出し部屋に戻った。
すべてゴミ箱行きだろうけど。
そう思いながら封筒の物だけは、一通一通、見ることにした。
「結婚紹介所の案内、何かのアンケート、
いつもの化粧品会社から、資格取得の為の通信講座案内、分譲マンションの広告、どれも要らないな」
そう思い、捨てようとした時、うた子の表情が変わった。
「これは……」
知り合いからの手紙だ。
💼🎒
うた子は封を開けた。
【早川うた子様】
うたちゃん、元気ですか。
うたちゃんが東京に行ったと訊いてから、ずっと気になっていました。
ご主人にお貸しした500万円。
返済できないご主人の代わりに、うたちゃんが肩代わりをし、働いて全額を返してくれました。
あのような仕事は、さぞ苦しかったと思います。
ご主人は、ずっと家には帰って無いことも訊いています。
私がお金を貸さなければ良かった。
そうすれば、うたちゃんも住み続けていられたのに。
ご主人に頼まれて私は断ることが出来なかった。その結果、うたちゃんのご家族は、ばらばらになってしまった。
私が余裕が有ってお貸ししたわけじゃないこと。
あちこちから、掻き集めて作った500万なのを、うたちゃんは知っていたんだよね?
だから早く私に返済する為に、稼げるからと、あの仕事を選んだことは直ぐに分かりました。
何度も書いてしまうけど、私がご主人の頼みを、断わることが出来ていたら。
毎日、後悔しています。
本当に悪かったね。ご主人がどんな人かは多少なりとも知っていたのに。
うたちゃんに、ずっと謝りたい、そう思っていました。
遊丸 平陽
「ヘイヨーさん……気にしないでね。ヘイヨーさんが貸してくれなかったら、あの人は危ないところから、借りたかも知れない。
きっとそう。 だから助けてもらったと思ってる」
メールや電話じゃなく、手紙というのがヘイヨーさんらしく感じた。
むかしから、温かい人だから。
雨音が聞こえて来た。
窓の外を見ると、かなりの大雨になっている。
「これは自転車は使え無いな。こんな日に、お客さんは来るのだろうか」
💼🎒
来ていた。
3名様。
一人は、いつもの黒のサングラスに、シシャモの男性。やっぱりシャーロック・ホームズを読んでいる。
2名様は、たまに来てくれる谷村さんと、もう一人は会社の上司さんだ。
今夜はビールではなく、カッピー、、ではなくホッピーを呑んでいる。
何となく静かな夜だ。
「やまないなぁ。さっきは雷もゴロゴロいってたし」
店長が入り口で、愚痴をこぼしている。
「あっそうだ!店長にプレゼントがあるんです」
うた子はロッカーからワインが入った袋を抱えてきた。
「店長、これどうぞ」
「オレにかい?何だろう」
袋から出てきたワインを見て、店長は驚いた顔をした。
「こんな高級なワインを。本当にいいの?」
「やっぱり高い物なんですか?」
「たぶん」
「たぶん?店長はワインに詳しいんじゃ」
「全然詳しくないよ。好きなだけで。ただこの紙袋は有名百貨店のだから、たぶん高いんだろうと思ってさ」
「でも良かったです、もらってくれる人がいたから」
「うたちゃんは、呑まないのかい?」
「はい。ぜひ店長にと思って」
「ありがとうね。閉店して帰ったら早速いただくよ」
「なんならもう店を閉めるか。こんな土砂降りだし」
黒サングラスの男性が、シシャモを加えて、固まっている。
店長は慌てて云った。
「今いらっしゃるお客様方は閉店までゆっくりして行ってください」
黒サングラスの男は、シシャモを食べ始め、シャーロック・ホームズの本に視線を落とした。
チラッと見えた裏表紙に、名前らしきものが書いてある。
とり……鳥……裸族
この男性の名前だろうか?
確かに書いてある 『鳥裸族』 と。
💼🎒
店長は、外の電光掲示板のスイッチを切ると、店の中へ入れた。
シャッターを下ろし、ヤレヤレといった顔で厨房に入って行った。
店の中が、シ〜ンと静まり返る。
「あ、あの、うた子さん」
谷村に声を掛けられ、うた子は伝票を持ちテーブルに行った。
「ご注文ですか?」
「えっとー」 谷村がアタフタしているのを見た一誠が、
「この間の琴華酒、旨かったよ。他にもお勧めの日本酒は有るんですか?」
「あります、これなんですが」
ラベルには《ふゆほたる》と書かれていた。
「なんだかロマンティックな名前ですね」
谷村が云う。
「はい、お客様の中には、この『ふゆほたる』を呑んでいると、誰かのことを想う愛しい気持ちになる、と云う人もいます」
「じゃぁ、その酒を熱燗で頼む」
「分かりました、直ぐに」
「うた子さん、後で少しだけ話しがしたいのですが、いいでしょうか」
一誠の言葉に、うた子は一瞬驚いたようだったが、
「いいですよ、ご覧の通り暇ですから」
そう応えた。
燗酒が運ばれて来た。
一誠が谷村に酌をして、自分のお猪口にも酒をついだ。
「お話しって何ですか」
うた子は、はっきりとした口調でそう訊いた。
「何か……一人で抱えているように見えるものですから」
一誠が静かに云った。
「……」
「無理に話さなくても、いいんです。ただ心配になったもので」
💼🎒
厨房から店長も出て来た。
うた子はしばらく黙っていたが、目を閉じて、少しだけ微笑んだ。
「わたし、結婚してるんです」
男性たちは、びっくりした。
「でも、籍は入れてなくて。だから内縁の妻だけど。わたしには夫なんです。
もうずっと家には帰って来てません」
「帰ってない」
「はい、どこに居るんだか。周りからは、早く別れた方がいい、と云われます。
まともに仕事はしないし、そのくせ浪費癖はあるし」
「何故……別れないのですか。やはり好きだから、でしょうか?」
一誠の質問に、うた子は少しの間、黙っていた。
「分かりません、自分でも。わたしが今まで交際してきた男性で、まともな人はいませんでした。ギャンブル依存の男に、DVの男。そういった人しか縁がないみたい」
「どうしてかねぇ」
店長が眉間にシワを寄せている。
一誠は、考え込んでいた。そして、うた子に尋ねた。
「私が助けてあげなきゃ、支えてあげなきゃ。 そう思うんじゃないですか?」
うた子は驚いていた。
「そうなんです。どうして分かるんですか?」
ルルルル
うた子の携帯が鳴った。
「お母さんからだわ、なんだろう、こんな時間に」
「もしもし、どうかしたの?」
黙って聴くだけで、うた子は、電話を切った。
「夫から連絡があったそうです。これから帰るって。 わたしも帰らないと、家はもう無いんだから」
うた子が立ち上がり、バックを取りに行こうとしている。
「うた子さん、帰っちゃ駄目だ!」
一誠が大声でそう云った。
(つづく)
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