見出し画像

文章から伝わる人柄


活字を読む事が苦手な私ですが、どんな人柄なのかが分かるような文章や、素直な想いを書いている人のエッセイなどは好きです。

noteに書く文章は人に見られる事が前提なので、良い人に見られたい、カッコイイと思われたい、すごい人だと思われたいと思えば思うほど、素直な自分ではない文章になってしまうもの。

私はnoteを書く前ブログを書いていた時に、自分の経験してきた事を書いていて、どんな事を書くかを悩んで書いていた事もあります。失敗やダメな所も書いたほうが、読んでくれる人に想いが伝わりやすくなったように感じました。



周りからどのように見られたいのかを意識して文章や作品を作ると、理想を演じている自分を表現しているだけなので、そのような内容は薄く感じる事があります。

どのように思われたいかを考え、文章を書いている時とは、無理している時でもあるのかなと。
完璧でありたい、表現を知的にしたい、ステキだと思われたいなど、色々考えて書いている時とは、本来の自分を表現出来ていない時だと思っています。
一見素敵風には見えるけれど、伝わって来るものがないなんて事も・・・。


書いている人の想いや人柄は、顔が見えなくても文章から伝わるもの。


どのように書いたら格好いいかを考えるよりも、格好が悪くても自分の素直な気持ちを表現出来ている時の方が、書いていても辛くはならなかったかな。無理しても、書き続けなければいけない事でもないのなら、休む事も必要。

書く事が苦手だった私が3年間、文章を書き続けて気づいた事です。




どのように思われたいのかを考えて書いていたり、周りの期待に応えようとして書いている時、本来の自分との想いとギャップが大きいほど、自分の事が好きにはなれなかったり、違和感を感じる事がありました。

自分に嘘をついている事と同じだから。嘘をついている自分の事を好きになれるかと言う事だと思います。

素直に自分の想いを表現している時の方が、読んでいる人にも伝わりやすい文章にもなると思っています。
自分のダメな所もこんな自分でもいいかと認められるようになると自分の事も好きになるのかなと・・・。
完璧な自分でいる必要はないですし、自分が人よりも劣っていると感じている所も、それも個性だと思えると不器用で可愛いヤツにもなれたり、考え方を変えられるとちょっとは楽な生き方が出来るのかなと。


格好良く見せたいと思う自分も自分ではあるけれど、ダメな部分もあってもいいと認める事ができないと、文章や作品は、いかにも作られた印象にしかならず、個性が見えてこない文章や作品のように感じるのかもしれないです。


どのように感じるのかや好みの違いはありますが、私が好きなnoterさんは才能があっていいなぁとか、スゴいなぁと思う内容もありますが、料理でも完璧に作られた物よりも、生活感がある写真や、その人がどんな人かが分かるような素直に書かれた文章や写真が好きです。


文章を書く時に本当の想いを隠し、どのような人に思われたいと、偽りの自分として書く事も出来ますが、自分はこんな人だと素直に表現した方が苦しくなる事もなく、楽しくも書け、読んでいる人にも伝わりやすい文章になるのかなと思っています。

最後まで読んで頂きありがとうございます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?