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たまごをかけるだけでも自炊です

自炊生活に入って何日目だろう。社会人になって、帰宅時間が遅くなり、土日以外に自炊をすることなんてめったになかった。いわゆる(惣菜や弁当などを買って帰る)「中食」と「外食」にたよってきた(というわけで自炊のことは「内食」とも言うらしい)。

スーパーでものを買い込み、その食材をアノ手コノ手で使いきり、作ったものを食べきる。豆苗は根を水に浸し再収穫。野菜のハジっこは細かく刻み佃煮のようにしたり、野菜の根っこでベジタブルブロス(出汁のようなもの)を試みたり……京都の方いうところの「始末する」という感覚。冷蔵庫を空にし、「やりきった!」と思う時のテトリスで「長い棒」がピタリとハマったときのような快感。このタイミングで、ついぞ今まで味わうことがなかった暮しの矜持のようなものの片鱗を味わっている。

でも、私にとっては、まだまだ非日常のイベント感が漂う。たまにやるからレジャー(プレジャー?)。高揚感がある一方、この慣れていない状況で料理と対峙することに気づまりを感じている。

「中食」だって自炊

僕は、自分で何かを選んで、買うことだって「自炊」だと思っています。コンビニで買った温玉を、インスタントラーメンにのっける。ご飯にたまごと醤油をかけて食べる。それだって立派に自炊です。
全部をイチから作らなくていいし、冷凍食品やインスタント食品、味つけが一発で決まるような調味料なども、どんどん活用していいと思う。何の食品を買ってどう組み合わせるか、出来合いのものにちょっと何かを足す……そういうことができる力だって、僕は充分に「自炊力」だと思っています。

“自炊力”の白央さんのハフポスのインタビュー。新著のタイトルは『たまごかけご飯だって、立派な自炊です。』。なんとも心をつかまれる。なんとも優しい。日頃、「中食」に後ろめたさを感じてもいた私にはとりわけ沁み入る。


一汁一菜は最強

そういえば、私の心を軽くしてくれた料理本が過去にも一冊あった。土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』。

「食」とは人が生きるための基本となる行為なのに、何かに強制されるように義務感で料理しているとしたら辛いですよね。生きることそのものが辛いことになりかねない。(中略)心の置き場、基本となる形さえもっていれば、もう食事作りに悩むことはないんだよと伝えたかったのです。
ごはんとみそ汁だけなんて言ったら、手抜きと思われるかもしれませんね。手抜きだと思うと後ろめたさを感じてしまいますが、そもそも和食の身上は素材を生かすこと。素材の持ち味を引き出すにはシンプルな料理がいちばんです。家庭料理は手をかけないことがおいしさにつながるのです。

土井さんの食卓を覗いても、「一汁一菜」は何とも自由!

土井さんは、「一汁一菜」の本当の意味を理解すれば、フードロス問題の解決にもつながると、いろいろなインタビューで答えている。

我が家の一汁一菜が、世界中で深刻さを増すフードロス問題に一石を投じられるとは、なんとも鼻が高くなる話。

「中食」も「一汁一食」も後ろめさを感じる必要なんて、何もなかったのだ。


私は料理が趣味の人ではない

料理は「生きる」に直結する。だからこそ、「ていねいな暮し」や「素敵な生活」「インスタ映え」幻想の呪縛から解きはなたれた方がいい。

以前、おしゃれが辛くなっている人に向け、自分の経験を通して「おしゃれが趣味かどうかを考える」というnoteを書いた。なんてことはない。料理も同じように考えれば良かっただけのことなのだと気づく。

熊本でお総菜も扱う八百屋を営む友人から、たくさんの野菜、果物、漬け物、お米……。そして、味噌が届いた。まさに、「一汁一菜」セット。

友人からは、「この味噌は甘味があるから春キャベツと相性がいい。お揚げと一緒にお味噌汁にしてみて」とメッセージ。私の心が読まれていたかのようで、苦笑い。

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※ヘッダーの写真は、リッツとキリクリームチーズ。これにハチミツをかけたら、立派なチーズケーキ(なはず)!

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