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地方の食産業を支えたい


自己紹介

岩手県紫波町に暮らす45歳。
大学卒業→就職浪人→岩手県の非常勤職員→OA機器販売→県産品販売の第三セクター→業務用食品卸→菓子メーカー。9月にフリーのフードコーディネーターとして独立。独立を期にnoteを始めました。

最初の仕事

就職氷河期ど真ん中の時代。大学卒業後に就職出来ず、親とのぶつかり合いで就職浪人。安易に公務員を目指そうしとしたが、予想どおり挫折。親のすすめで岩手県の雇用対策で岩手県の非常勤職員として商工や観光などの部署で1年間働くことに。

ITの仕事

非常勤職員は次の就職を見つけることが前提で、働きながら就職活動。たまたま参加した就職セミナーでOA機器販売の会社から営業職でお声がかかり、とりあえず就職。
が…今では考えられないパワハラの応酬。仕事も与えられずノルマだけが大きい。ノルマが達成できない月末はお腹が痛い。そんな毎日。
最後は自律神経失調症で仕事が思うように出来なくなり、退職。
(当時は精神的な病の認知度が低くて、誰にも相談出来なくて辛かった…)

そんな環境でも良かったことも。
なんでも自分でしなければならない環境だったので、自然と身についたスキル。

①ITの知識
②仕事を自分で見つける力

ここは今でも生きています。

県産品を売る仕事

OA機器の会社を辞めたあと、少しお休みをして就職活動を始めました。前職のこともあるので、民間の会社に恐怖心があり、姉が以前アルバイトしていた、第三セクターの会社で募集が出ていて、姉からも話を聞いていたので大丈夫だろうと応募。そして採用。
1年間の倉庫作業を経て東京支店へ異動。この時点で何か嫌な予感…待っていたのは、とてつもない激務でした。
地元メーカーと首都圏のお客さんのスピード感の違い、手書き作業の多さ、属人化した仕事。とにかく、毎日がいっぱいいっぱいでした。(精神が病まなかったのは、パワハラがなかったから?) 

東京の仕事は辛いことが多かったですが、その分得られるものも大きかったです。

東京で得られたもの
①商品流通の仕組み(BtoB)
②自分のスキルを生かした仕事の仕方
③地方の良さの再発見

これが今の私を作り上げています。

震災

その間にあった大きな出来事。東日本大震災。
東京でも今まで経験したことのない大きな揺れ。電車が止まり、外は歩いて帰る人でゴッタ返し。その日は帰るのを諦めて、会社で一夜を明かすことに。たまたま、育児休暇で東京に来ていた妻と子供は、近くの体育館に避難。テレビでは地元の沿岸での津波の映像が流れつづけ、この前まで妻が住んでいた場所が黒い波にのみ込まれ…とにかく不安な夜でした。

地震の次の日からは毎日不安なニュースばかりで、コンビニやスーパーからも物がなくなっていき、ガソリンスタンドは長蛇の列。ただただ不安になる毎日。

そんな中でも前向きに動き出している人たちがいたんです。

地元からの荷物がトラックで東京に運ばれてきたんです。絶望的な状況の中で、その光景を見たとき、すべてを諦めていた自分の力の無さを痛感しました。

それから約一ヶ月後、地元の酒蔵が発信した情報から復興支援が始まりました。毎日鳴りやまない電話。「がんばろう東北」「がんばろう岩手」がんばろう、がんばろう…とにかく1日をやりきるのが大変でした。

半年が経ち、1年が経ち、徐々に冷めていく復興支援。自分の気持ちも落ち着いてきた時に考えたのが、復興支援は果たしてメーカーのためになっているのか?家族を蔑ろにして仕事を続けてよいのか?など悩む時間が増えていきました。

人事異動を期に退職しました。

業務用食品の仕事

今後の人生を考えて家族のいる地元で働くことを決めました。
出来ることは食品に携わる仕事。可能であれば地域の食産業に関わっていたい。たまたま出ていた地元の業務用食品卸会社の募集に応募して採用。

ここでも待っていたのは想像を超えた仕事内容でした。

・商品数の違い(前職の10倍以上の数)
・冷凍庫での作業(軽い凍傷になりました)
・タイトなスケジュール(午前中は分刻みのスケジュール)
・個人プレーの仕事

がむしゃらに過ごした4年間。体はボロボロでした。

ただ、ここでも身についたスキルが。

①2tトラックの運転
②効率の良いルート管理
③業務用食品の商流

地元菓子メーカーでの仕事

岩手県の第三セクターで働いていた時に知り合った菓子メーカーの部長からのお誘いで菓子メーカーに転職。5年間で与えられた売上目標をクリアするミッション付きだったので、これを自信につなげたかった。
とにかく今までやってきたことをフルに活かせば、目標はクリア出来るという信念でスタート。東京でお世話になった人をたよって、ほぼ0からのスタート。うれしかったのは、忘れずに覚えていてくれた人や偶然の再会ばかりだったこと。コロナ禍で業界的に苦しい時期があったものの5年で目標を達成できました。(震災の時の経験もあり不思議とコロナ禍でもメンタルは保たれました。)

フードコーディネーターの資格

業務用食品卸の会社の方針で取得した惣菜管理士3級の資格。内容は私が知りたいことではなかったこともあり、1度落ちて2回目で合格。2級受験の話があるなか、この資格で上を目指すよりも、もっと自分に合った資格があるのでは?と思い辿りついたのが「フードコーディネーター」の資格でした。

食品業界を長年やってきて思ったのは「商品開発」の重要性。
「これは売れる」と思った商品は売れず、「こんな商品売れないだろう」と思った商品が売れる。ここに何の違いがあるのか?それを知るための知識がほしかった。そんな中で見つけたのが「フードコーディネーター商品開発」の資格。

コロナ禍で時間もありフードコーディネーター資格取得に向け勉強を開始。3級と2級は無事に合格。1級は現在チャレンジ中。

独立

何か当てがあるわけでもありませんでしたが、思い切って始めてみることにしました。45歳という年齢での独立。周囲の冷ややかな視線はありましたが、やらないで後悔はしたくなかったし、震災の時に感じたことの答えを見つけたかった。いくつになってもチャレンジ精神を忘れないで行きたい。そんな気持ちで現在に至ります。

これから失敗することも、いっぱいあると思いますし、思うようにいかないこともあると思います。それでも前を向いて頑張りたいと思いnoteを始めました。

目指すは『地場産品のマーケッター』です!

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