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追憶のミーコ その10 終

ミーコが姿を消した翌2007年、
連載していた「電車屋赤城」が、
角川書店より刊行された。
無名新人の、初めての長編小説である。
今までにない、
電車整備の世界を描いたためもあろう、
おかげさまで好評であった。
受賞は逃したが、
有名な文学賞の候補にもなった。

すると角川から連絡があった。
「映画化のオファーがあるのですが、お受けしますか?」
私はなんとも驚いた。まるで夢のようである。
監督と脚本家の名を尋ねると、どちらも高名な方である。
舞い上がった私は、もちろんです、と小躍りして答えた。
そうして関係者との顔合わせを兼ね、
横須賀で最初の打ち合わせをすることになった。

結論から言うと、この企画は中止となった。
いや、限りなくクランクインまで近づいていた。
打ち合わせを重ね、台本もでき、
キャストもほぼ決まっていたのだ。
難航していた主演の赤城役の俳優も決まり、
舞台となる京急の撮影協力も得ていたのである。
だが、製作費が集まらなかった。
たしか「あと1億足りない」と言われたような気がする。

ともかく、お流れ。
とても落胆した。
けれど監督や脚本家、プロデューサー、角川など、
映画化に向けて尽力してくれた方たちは私より無念のはず。
よい夢を見せてもらったと、私は頭を切り替えた。

それに打ち合わせの過程で、
私はとんでもないことを知ったのだ。
この映画化の話がなかったら、
気づかなかったことである。
それは、ミーコのことであった。

初回の、横須賀での打ち合わせのことである。
監督と脚本家、それに角川の担当者数名が、
私の指定した店の座敷に同席した。
そこで、脚本家に言われたのだ。
とても魅力のある作品だが、
これをそのまま映画にするのは難しい、と。
たしかに、と私は頷いた。

読んだ人ならわかると思う。
「電車屋赤城」は赤城という男の物語だが、
まわりの人間が、
赤城を浮き彫りにしてゆくストーリーなのである。
さらに赤城の口数は少なく、ぶっきらぼう。
自分のことも語らない。
けれど心優しき男で、
困っている仲間を、知られぬようにそっと助ける。
そして、ひっそりと消えてゆく。
この男をメインに据えて撮るのならば、
赤城の謎の部分を明確にしなければならない。
脚本家は、このことを言っているのだ。

「赤城の背景をもっと教えてほしい」
やはり脚本家はそう訊いてきた。
それをもとに脚本を書くという。
私は正直、戸惑った。

もちろん、赤城に過去はある。
横須賀に来たのにも、じつは目的があった。
でもそれは実際の私に重なることであり、
作中ではあえて触れなかったのだ。
明かすとしても、それは続編でよいだろうと考えていた。
実際、「続・電車屋赤城」の構想を進めていたのである。

「どうなんですか、山田さん」
話題作を何本も書いてきた脚本家の目は鋭い。
赤城の生い立ちが私の過去であろうことを見抜いている。
私は気が重かった。
失礼し、酒を頼んだ。

そしてアルコールの力を借り、白状した。
「赤城は、生き別れた妹を捜していたんです」

私は重しをどけ、心の蓋を開けた。

そう。
じつは私には、離別した妹がいる。
幼い頃に両親が離婚し、私は父に、
妹は母に引き取られたのだ。
大人たちの勝手な都合で、
離れ離れにさせられたのである。
とても理解できないことだった。
人生で初めての不条理であった。
以来妹とは会っていないし、生死も不明である。
でも信じている。
生きていれば会える日が来ると。
仲のよかった妹も、
きっとそう思っているはず……。

それらを私は、
己の過去とは言わず、赤城の生い立ちとして、
淡々と語った。
納得したように、脚本家がメモを取る。

「それで、赤城のその妹の名前は?」
そこまで訊くか?
秘密にしていた部屋に土足でずかずかと入ってくる脚本家を、
私は睨みつけた。
でも、ここまできたら仕方がない。
私は記憶の底に光を当て、
離別した妹の名を数十年ぶりに思い出した。
そして唇に乗せ、愕然とした。
「……みいこ」

気づかなかった。
私は生き別れた妹の名を、
あの猫につけ、可愛がっていたのだ。
いや、妹が猫の姿を借りて現れたのか?
……そうだ。
そういえば妹は、ウインクの練習をしていた。
結局、出来ずじまいで引き裂かれたのだ。
速足で歩く母に無理やり連れられて。
「どうしてこうなるの?」という、
悲しそうな顔を私に何度も向けて。
ウインクの出来損ないのような表情を見せて。
あの猫がしきりにウインクしたのは、
できるようになったと見せたかったのか?
気づいてほしいというサインだったのか?
ともかく猫の姿で私に近づき、
私を見守り、姿を消した?
だとしたらあの猫は、妹は、もうこの世に……。

私は混乱した。
なのでその後のことは、あまり覚えていない。
皆が帰った後も私はその店で飲み続け、
気がついたら家の布団で横になっていたのだ。

布団から半身を起こす。
まだ酔いが続いている。
ミーコがよく身を横たえていた場所に目をやる。
「ミーコ」
私は呼んでみた。
すると、何語だかわからぬ声が頭の中に返ってきた。
「なに? お兄ちゃん」
私は再び、濡れた枕に頭を置いた。

私が忘れない限り、ミーコは私の中で生き続ける。
永遠に。


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