最新のつぶやき、投稿2024

【2024.4.22】「論争」の時代から「悪人退治」の時代へ

このところ、善と悪ということについてよく述べている。今の社会には様々な対立があるが、それが意外と、善と悪について論じていないということを指摘してきた。

近年、目立つ論点として「グローバリズム(全地球主義)」 VS「 ナショナリズム(国家主義、民族主義)」というものがある。
ナショナリズムの問題点は、戦後、長く語られてきた。自国や自分の民族を愛しすぎたり、国家という枠組み、単位にこだわりすぎることは危険だ。過度なナショナリズムは他国を排除したり攻撃する動機となる。そんな時代に力を持ったのが、グローバリズムの思想だ。多国籍企業の経済活動などによって、世界はどんどんグローバルに結びついていった。これは良いこととされたが、近年、多くの問題が明るみに出始めた。

グローバリズムの土台であった自由貿易は、果たして公正な競争であったのか。結局、一部の国や人々が、都合よく世界を支配し暴利を貪るのが、グローバリズムの目的だったのではないか。
そして急速に、ナショナリズムが盛り上がり、熱狂的に支持され始めた。各国のナショナリストたちは 「反グローバリズム」を掲げて論戦や運動を展開している。彼らはグローバリスト側から「極右ナショナリスト」などと呼ばれ、危険視されている。

さて、ここで問いたいのは、グローバリズムは善なのか悪なのか。ナショナリズムは善なのか悪なのか、ということである。
グローバリストは言う。ナショナリストは国際的な協調性がなく、自国の利益ばかりを追求していて良くない。
一方、ナショナリストはこう訴える。グローバリストは全体主義的で、各国の主権や国民の自由を奪い、各民族の独自性や歴史も認めない巨悪の勢力だ。
しかし、当然のことながら、グローバリズムにもナショナリズムにも良い面もあり、悪い面もある。

世界に山積みとなった問題を解決していくことは、そう簡単ではない。グローバリズムの悪い面を正し、ナショナリズム的な発想や感覚を取り入れながら、ナショナリズムの悪い面も取り除く――という、冷静で公平で地道な仕事が必要になるのだ。

腐敗し、悪人が多いグローバリズムを徹底的に否定し、世界をナショナリズムで覆い尽くせばいい。過激なナショナリストはそう言うかもしれないが、これは非現実的な極論だ。
グローバリストの中には善人もいる。本気で世界の全人類を平等に見て、皆の安全や幸せを願って働いている人もいる。
地球環境についても、自分の利益やビジネスのためではなく、本当に心から地球を愛し、大切にしたいと思っている人や組織もある。ナショナリストの一部は、そうした国際協調的で善良な人々の働きを無にしかねない。

今、世界中で戦争を起こしているのはグローバリストなのか、ナショナリストなのか。これは容易に判断できない。悪い者たちが暗躍しているのは間違いないだろう。しかし、グローバリストにもナショナリストにも好戦的な人はいる。
そして最終的に、和平交渉を行おうと思えば、グロール人材の力が必要不可欠となる。民族主義者が国際的な仲裁や調停に向いているとは考えられないのだ。

ナショナリストは、他国を過度に攻撃せず、国際協調を阻害せず、自国の歴史や伝統、文化などを深めたほうがよい。そして、自分の国の価値を守り、高めるべきだろう。
悪いグローバリストが自国の大切なものを傷つけようとすれば、阻止する。世界中を画一的な価値観やシステムで無理やり統一しようとするならば、反対する。

そして、グローバルに活動する人は、他の多くの国々の善良な人々と協力すべきだ。皆で力を合わせて、戦争を止めたり、貧困国を減らしたり、悪人たちの動きを封じ込めたり。各国が、自分たちの伝統や文化を誇れるような、平等で公平で平和な世界づくりを行えばよい。
基本的には、皆が愛国心を持ったナショナリストであり、かつ、世界全体のことを思いやるグローバリストである。これが理想ではないだろうか。

これまで曖昧にされたり、ごまかされてきた「善と悪」の話を、もっとすべきだ。
今、世界中にはびこっている悪徳や腐敗、身勝手なルール作り……こうしたものさえなくせば、社会は良くなる。
グローバルな組織が悪徳に染まっているとしても、「だからナショナリズムだ!」というのは極端だ。国の組織にも、同じリスクはある。
「グローバル全体主義」が危険なのは確かだが、国レベルでも全体主義は存在する。独裁もある。

全体主義の悪い点は、皆のためと称して人々を犠牲にしたり、自由を奪ったりすることだろう。全体のためだとウソをついて、実は一部の人のみの利益を追求する。あるいは、自分たちの希望、意思、方針などを押し通す。
結局は、ウソつきや利己的な者が悪いのである。グローバリストでもナショナリストでも、結局、ウソつきで利己的ならば腐敗する。
案外、シンプルな話なのだ。

善人同士で戦ったり、論争を繰り広げる必要はない。
グローバリストの側も、ナショナリストへの攻撃は控えるべきだろう。ナショナリストを恐れ、極右勢力などと呼んで敵視したり、無視したりするのはよくない。ナショナリストの主張にもしっかりと耳を傾け、自国の主権や利益、伝統などを重んじるべきだ。
自国が衰退していくのを見ながら、「自分は世界で活躍するグローバリストだ!」と自慢しても、虚しいだけだろう。

自国への愛は自己愛に似ている。自分を否定しすぎるのも、肯定しすぎるのも良くない。
国をひとりの人間に例えるなら、他の人との協調や協力は不可欠だ。時にはあまり好きでない人とも付き合う必要がある。最低でも、喧嘩をしたり暴力沙汰にならないよう、平和的な関係を保たねばならない。
そして、あまり他人には干渉しすぎないことだ。今のグローバリズムの問題点は、一部の先進国が自分たちの価値観を世界中に押しつけようとするところにある。これは改めるべきだろう。

他国を助ける際も、あまり恩着せがましくしたり、上から目線でものを言わないことだ。これは、人同士の付き合いで考えればよく分かる。
例えば、自分の家族のライフスタイルが素晴らしいと思ったとしよう。それはまあ良い。しかし、だからといって、他人の家に乗り込み、その家庭のルールや暮らし方を否定して回ったとしたら、どうだろう。
その人は皆に好かれて、町長などに選ばれるだろうか。
小さな町の町長や世話役にもなれないような人物が、世界を支配するなど間違っている。

世界をリードするグローバリストは、慎重で賢明で、思いやり深い人物でなければならない。自分の言動が後々、世界にどのような影響を及ぼすか。これを理解できる、先見性や深慮の持ち主でなければならない。
そういう立派な、深みのある人物になるためには、歴史や伝統に通じたナショナリストから、いろいろと学ぶ必要がある。

自国を愛し、長い伝統や独自の文化を大切にし、善良な心を持って、グローバルに世界をリードする大人物。そんな夢のような人はいないだろう、と悲観することはない。
人間をバカにし、単純化した極論に突破口を見出そうとするのはやめよう。世界には素晴らしい人々がおり、今日も社会を良くしようと、懸命に働いているのだ。

本当に立派なリーダーを見つけると、感動し、力が湧いてくる。心強いと感じて安心できる。
今の日本では、まだそういう大人物がいることが、あまり広く知られていない。これが問題であり、不安の種ともいえる。
だが、このひどい状況は変わりつつあると思う。
短気にならず、希望をもって、世の中の善悪をよく見極めることが重要だ。
古い「思想的な枠」にとらわれず、善人同士で力を合わせて悪人を退治しよう。

【2024.4.20】「資本主義」VS「社会主義、共産主義」の帰着点

剣術、兵法では中心をとった者が勝つ、と以前から述べてきた。その観点でいえば、長年、論争を続けてきた「資本主義」 VS 「社会主義(共産主義) 」の対立も結局、その真ん中、中道をとった者が勝つということになる。今、西側先進国が苦戦し弱体化しているのも、この理で説明がつく。
ロシアは東西冷戦で敗北、社会主義大国であったソ連が崩壊し、一時、ひどい混乱に陥った。が、資本主義を取り入れつつ見事に再生。中国も資本主義を取り入れ、日本やアメリカなどに大量の留学生を送り込み、多くを学んだ。
当時、西側の欧米諸国は勝ち誇り、いずれ中国が共産主義をやめて、自分たちと同じような体制の国になると思った。実は、これこそが西側の敗北の始まりだったのである。

西側は資本主義が正しいと思い込み、その弊害や悪い点を修正する機会を逃した。国内に、社会主義的な政策を求める国民がいても、国自体が共産主義アレルギーのため拒否反応を示す。ロシアや中国のようになるなど絶対に許容できない、というのが国の大方針なのだ。こうして西側は、国の運営の仕方が不自由になった。大きな偏りと縛りがある西側先進国。対する中露は、社会主義と資本主義の両方をバランスよく自由に使う。これでは、どちらが優位に立つかは明らかだ。
いや違う、今の欧米は、もはや資本主義国ではなく社会主義の国になった、と言う人もいるだろう。確かに、近年は過去の価値観が変化し、人道主義や平等主義が強まっている。しかし、皆で「社会主義や共産主義にも良い点があるから取り入れよう」と合意したわけではない。社会主義的な要素をもつ左翼の人々と右の保守層が激しく対立し、中和するのは難しい状況だ。どちら側の人々も負けた経験がないため、プライドが高く、妥協したり相手から学ぼうといった姿勢がない。互いに極論を言い合って国が二分されている。共産主義アレルギーや勝者のプライドなど、様々な不自由さが国を縛り 、議論を行き詰まらせているのだ。西側先進国は社会主義的な政策をとる際も、中国やロシアのことは決して認めない。それどころかむしろ悪い国のように非難してきた。そのような姿勢で社会主義的な思想や方策などをうまく活かし、使いこなせるわけがない。

では、日本はどうすればよいのか。日本は一応、西側先進国の一員である。ただ、昭和の戦争で負けているため、米英仏のような戦勝国とは事情が異なる。また、日本は欧米式の資本主義が入ってくる前から経済が非常に発達していたので、独自の考え方や経済感覚、経営手法などをもつ。
日本の会社員は自社に対する忠誠心が強い。会社の側も雇った社員は一生、安心して働いてもらいたい、というような気持ちが強い。今はこうした考え方が薄められてきたが、昔は大体そうであった。
加えて、日本の会社では皆が勤続年数に応じて比較的平等に昇進し、給料も上がった。これはいわば「企業内社会主義」である。
つまり日本は、国としては資本主義国に名を連ねてきたものの、各社内、組織内では社会主義的な経営を行なってきた。日本人は生活の安定や雇い主への忠誠心がどれほど大きなパワーを生むかを知っていたのだ。
資本主義では、基本的に人は自分の利益のために働く。収入を最大化するために頑張る。これが何よりのモチベーションといわれてきた。だが実は、この動機づけは最強ではなく、万能でもない。
利益だけが目的の人間は、会社が傾いたり業績が悪化したりすると、やる気を失う。逃げ出す場合も多々あるだろう。一方、会社への思い入れや忠誠心があれば、少々、利益が落ちても働き続けようと思う。だから、会社は景気の状況や自社の浮き沈みを乗り越えられるのだ。そこでまた様々な経験や知恵を蓄積し、さらに発展していく。
日本には長命な企業が多い。短期的な利益の最大化だけにとらわれない戦略や底力があるのだ。
日本はもともと、資本主義の要素と社会主義の要素、両方をうまく取り入れて経済活動を行なう国だった。敗戦国としての謙虚さもある。だから、西側先進国の中では特異な存在といえるだろう。日本は東西どちらの陣営が行なっている政策も、経済活動も、よく理解できる。
そもそも、日本の経済を近代化したといわれる渋沢栄一は「論語と算盤」と言った。算盤、つまり利潤の追求だけでは行き詰まるということを、資本主義を導入した当時から指摘していたのだ。
だから日本人は、資本主義が力を失い、国際秩序が大きく変わっても、動揺せず、活躍し続ける可能性が高い。ただし、そのためには日本の良き伝統や日本人ならではの感覚を思い出す必要がある。「我々は西側の先進国だ!」「共産主義陣営など自由のない不幸な国々だ!」「共産主義国はいずれ経済がダメになるに違いない!」というような古い考えをもっていると、今後、厳しくなるだろう。

全世界の国々が集まって民主主義を行えば、国の数では新興国や貧困国が圧倒的に多い。西側先進国はこの事実を見ないようにし、侮ってきた。資本主義の資本力によって、これらの国々の発展や意見表明、団結などを封じ込めてきた、ともいえる。
一方、ロシアや中国はこれらの国々を見下したりはしない。自分たちの価値観を押し付けたりもしない。自分たちの国にも貧困などの問題はあり、改善の努力をしている最中だ。そういう立場で対等な協力を行なってきた。
西側先進国は、この姿勢を見習うべきだ。
日本は戦後、餓死者が出るほどの極貧状態に陥った。そこから著しい成長と発展を遂げたため、多くの途上国から尊敬されている。日本は実にユニークな国として、世界に受け入れられているのだ。
そんな日本は、西側先進国の末端の座にしがみつく必要はない。独自の中道路線で世界をリードし、痛みや敗北を知る国として、多くの国々と協力していくべきである。

以上の内容は、一つのコンテンツとして書くか、または『日本式サムライ経営術』の中におさめようと考えていた。しかし、まさに今、世界が大きく変化し、新しい時代が始まったようなので、急ぎ投稿することとした。

昨年書いた『日本式サムライ経営術 序論』は、こちらのリンクからどうぞ。

【2024.4.18】
現在、世界では様々な対立や論争が巻き起こっている。しかし、よく観ると「善対悪」の論争は意外に少ない。
対立するどちらの陣営にも悪人や、良からぬ勢力がいるのでは? という疑いがぬぐえない。対立を煽っている人もいるだろう。もともと悪党だった者同士が仲間割れをし、争っているところに一般の人々が巻き込まれているケースもあるだろう。あるいは、悪事を重ねてきた人々が別の陣営を新たに作り 、旧勢力を批判しながら味方を増やして、逃げ切りをはかっている。そんな様子もうかがえる。
皆「自分の側が正しい」と言うものの、本当の善悪については意外と論じていない。これがとても残念である。

どんな国でも、どんな政権でも間違いをおかすことはある。それを正し、反省して改めるのが、あるべき姿だ。そうしたリアリティや自然さがどうも感じられない。
この人物は少しくらい悪いことをしても支持する。だが、敵対するあの政権は、いくつか悪い政策を行なったから、良いことをしても絶対に認めない。これで本当に良い国が作れるのだろうか。

とはいえ、「善対悪」の戦いが全く行なわれていない、というわけではない。現実世界ではむしろ、その戦いが大きな軸となっている。 
ただ、日本ではなぜかその論点がクローズアップされてこなかったのだ。日本では長らく、悪人のことをはっきり「悪い」と言ってはいけない空気感があった。「みんな根は利己的だよね 」「人間なんてそういうものでしょう」という風に、ごまかされてきた。
だが、そのようなことは全くない。善良な人は山ほどいるのだ。そして、本当は皆、そのことをよく分かり、感じ取っている。
これまでは、本当に不自然な世の中だった。それほどの悪人とも思えない人が何かのきっかけで激しく叩かれる。その一方で、何の優しさも徳も感じられないような人が、有名人やエリートとして偉そうに発言したりしている。
いくら有名でも、資金や組織力を持っていても、「良くない人かもしれない」と感じたら、支持や応援を控えるべきだ。無用の論争や戦いに巻き込まれ、体力や時間を費やすのはもったいない。
良い人はいくらでもいる。じっくり探せば、身近にも尊敬すべき人物や支持すべき人は見つかるだろう。有名人や、すでに頭角を現している人物の中にも、善良で立派な人はたくさんいる。
だから、落胆したり絶望したりする必要はない。人間不信や政治不信に陥り、特定の人や思想だけに執着したり、救いを求めたりする必要はないのだ。
「世の中は悪人ばかりだ」というウソを正そう。「オレ(私)だけが救済者だ」というウソを見抜こう。
そして、良いものを少しずつでも着実に増やし、悪いものを減らしていく。それを日々 、地道に続けていくのが私たちの仕事だ。

【2024.4.16】
本当の剣の役割は人を斬ることではなく邪気や悪気を払うことだ。悪のパワーや技が絶たれると、結果的に、極悪人が命を落とす可能性はある。
純粋な心を持つ人と邪悪な人間ではエネルギー源が異なる。邪悪な者は人の苦しみや不幸を糧に生きている。そんな極悪人は、清められた美しく平穏で公正な場所では、生きていけない。

【2024.4.16】
Facebook、謎の状態から復活しました。

【2024.4.16】
Facebookの表示がおかしくなり「投稿はありません」となる件、ひょっとして「ポリコレ」について書いたからかな。別に、ポリコレを批判したわけではなく中立で、悪用せずに正しく活かしましょう、と言っただけなのに。
X(Twitter)では逆に、ポリコレ批判が歓迎されるだろうけれど……私はどちらの側でもない。note推し。

【2024.4.16】
Facebook、急に「投稿はありません」と表示され、すべての投稿が見えなくなっていて怖い。
やはり頼りになるのはnoteだ。

【2024.4.15】
「英雄たちの選択」に、先祖の多田満仲(源満仲)、源頼信が登場。
頼信は思っていた以上に素晴らしく、知恵の深い将軍だった。剣の神、武甕槌(タケミカヅチ)が祀られる鹿島神宮との縁もよく分かった。
血を流すことを嫌い、平和を愛する剣の神。その心を平安時代の武士はよく理解し、国を平定した。 


【2024.4.12】
とってつけたような人道アピールや偽善、重箱の隅をつつくようなポリコレにはうんざりだ。しかし 、「正しさ」 や「人道」という言葉、概念が世界中に広まったことは悪くない。
これをうまく活かして様々な悪事や不平等を暴き出し、邪悪や巨悪を退治。世界中を真の正しさと善で満たすべきだ。
「ポリコレ」vs「反ポリコレ」で争うのは良くない。

ポリコレを 敵の排除やビジネスに 使う者たち いずれ廃れる

ポリコレは 正しく活かし 目こぼしや 流動性で 明るい社会


【2024.4.8】
これまで、世界では少数の悪人の利益のために、多くの人が犠牲になってきた。
今後は逆に、多くの人々が幸せに生かされる時代へ。
 
本当の悪人誰か 観えたなら 戦争いらず 一殺多生

【2024.4.5】
今、世界で問題になっている二重基準(ダブルスタンダード)━━というか、ここ数百年、ずっとこれが横行してきた。
皆が多くの情報を得るようになった中、そろそろおかしさに気づき、終わりになるだろうか。

【2024.4.3】
昨年2月の時点で「今の世界の対立と混乱は関ヶ原合戦に似ている 」と指摘したのは、我ながら的を射ていた。関ヶ原で勝ったのは東西どちらの陣営か。西側先進国は危機感を持つべきだ。


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