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自分軸を持ったら自分がなくなった話

私はこれが好き、これは嫌い。
これは得意、これは苦手。
好きだからやってる。私は私!!

そんな時期もそれなりに前向きで充実していて、周りから褒めてもらえることも多かった。

でも、いまの場所から振り返ると
ちょっと自分に言い聞かせていたり
思い込もうとしていたところもあったと思う。
(前向きに…前向きに…)
(大丈夫…上手くいく!…)とか。

忙しくしている自分のことも好きだった。
頑張っていて、期待に応えることが出来て、褒められる自分のことだけが好きだった。

✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――

私は私で「完璧な状態」だと知ったいま、
自分軸などまったく意識していないことに気が付いた。自分の輪郭は滲んでいるものの確固として存在していて、その「存在していること」がすでにパーフェクトだと知っている。

(「知っている」は「思っている」よりも遥かに当たり前レベルに近い)

文字にすると頭がおかしくなった感じもする……

「できない自分も受け入れる」、「ありのままの自分を愛す」…耳触りも良く、よく目にするコピーだけど、もはやそれさえもどうでも良く思えてくる。

受け入れなくても愛せなくても
どっちでもいい。

だってそもそもパーフェクトだから。

生かされてる間は、生きていればいい。
自分は生きている!なんて主張するのも
おこがましい。

諦めや投げやりな表現に聞こえるだろうか…

ちなみに、「出来ないことは補い合って生きていこう!」という言葉も入ってこなくなった。
補い合う必要はないのだ。

だって出来ない状態があってこそ
パーフェクトだから。

パーフェクトな「丸」なのだ。

世界を変えられなくても
自分の仕事が好きじゃなくても
人を愛せなくても
目標がなくても

人類のあたま数でもいいよ。
必要なんだから。いることが大事なんだから。

私なんて、ただ今日も完璧に生きている「だけ」。

ただの完璧。


いてね。

私もただ いるから。


※今日思ったコトの覚え書き。

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