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好きの解剖なんて、できっこない

物に対しても人に対しても植物に対しても直感的に感じる「好き」を信用している。そういう直感で感じる好きは、頭で考えるより先に身体が反応してしまうような好きを伴う。

「この人のことが好きだ」と感じる人とは、絶対に仲良くなってきた。自分が好きだと感じた人には積極的になるからかもしれないけれど。ここでいう好きとは恋愛的な好きとかに限定しない好き。

幼馴染とは、物心つく前から一緒にいるから、仲良くなろうとする努力はないに等しいけれど、それ以外の人たちは違う。

基本的に人とは積極的に関わらない性格だし、グループ行動は嫌い。だから仲良くなりたいと思うときは必ず一対一だ。


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小学生の頃、放課後にひとりで絵を描いている同級生の女の子に「仲良くなりたい!」と何度もしつこいほど声をかけ、口説き落としたのが、どんな時でも唯一信じられた人間、親友となる彼女だった。

心開いてくれた瞬間は、正直あまり覚えていないけれど、その時も直感的に思った。「この子が好き」「私たちはきっと仲良くなれる」「私たちは似ている」

私は幼い頃から好きなものに対する感度だけは優れていた。自分で言えるほど、ほんとうに優れている。その対象が人である場合、その人とは必ず仲良くなり、今でも付き合いを続けている。

その人が自分と似た立場であることもあったし、まったく逆の性格だったり立場だったりしたこともあった。置かれた環境とかその人の過去だとか、すべて取っ払って、ただ好きだと思った。それだけだった、それだけは共通していた。

「私と仲良くなったら絶対に得すると思う」と声をかけたi君にしたって、「(名前)さんのこと、すごく好きだからもっと知りたいです」とたくさんアピールした会社の女性の先輩も、「絶対に楽しませる自信があるよ」といろいろなところに連れ出したバイト先の友達も、

みんな、ほんとうにただ好きだと思った。そしてその直感は外れたことがない。相手も私を好いてくれているのがわかるし、私はきっとそれ以上に好いている。

「ナンパされた気分」と笑って返されたことが何度かあって、「口説いているから間違えてはないですね」と言うと、「乗った」と返してくれる目が好きだった。

もちろん、特別な声をかけずとも距離を縮めて自然と仲良くなっていくという流れも同時に起こる。

それでも仲良くなりかけの時に口に出してしまう、「あなたのことが好きなの」という気持ちを、何らかしらの言葉で、表現で、伝えたくなってしまう。


すごく冷たいと思われるかもしれないけれど、相手が一方的に好きだと思っている場合や親友だと思っている場合、私は一切それに応えてあげられない。

私は多分そういう人間。

人類みな兄弟 みたいな思想を持っている人間は純粋にすごいと思うけれど、私はそうはなれない。

どうしたって、私の「好き」は、好きだと思う人たちにだけ、ただ一直線にそそがれている。その一方的な好意を嫌うこともしないけれど応えることもない。

けれど、それに応えてほしいという態度を取られると、途端に息苦しくなる。

好きだと直感的に思えないものを、好きになろうとする努力は、悲しい。

以前、i君が「そうしてしまう」のと、「そうしようとしてする」のは全然違うと言っていたことを何度も思い出す。

仕事にしても、人にしても、趣味にしても、物にしても、

努力を伴う好きは私には扱いきれない。かと言って嫌いだと感じるものはあまりない。嫌うことって疲れてしまうから。

好きか、そうじゃないか、の2択しかない。

人としての好きと、恋愛感情としての好き、の境界線はきっと明確ではなく、たまにみんなはどうやって「これは恋的な好きだ」と判断してきたのだろうと考えたりする。

人としての好きの先に恋愛感情があると言われれば、それは納得できるけれど、そうとも限らないでしょう。人として好きだけじゃ恋愛感情には至らなしい、でも何かひとつ、人として好きなところがなくては恋愛感情は生まれない。


独占欲、寂しさ、欲、触れたいと思う気持ち、安心感、情熱的な何か、


みんなは、どうやって恋や愛を判断してきたの。自覚してきたの。




私はと聞かれたら、これもまた直感のようなものとしか答えようがないから困ってしまう。

彼は出会った頃からとても優しくて紳士的だったけれど、でもそういう目に見てわかるような、説明できるような言動が、恋愛感情を芽生えせたわけではなかった。

付き合う前から、彼の隣にいると、とても眠たくなった。合法の麻薬みたいな人だと思った。身体は軽いのに頭は重たくて、瞼が落ちてくる。

今の恋人には触れたいという感情を伴った。もっと近くで眠りたいと思った。適度な距離を保っていてもこんな風になるのなら、肌が触れ合ったらどうなってしまうのだろうという好奇心は、少し怖くもあった。

実際に触れ合ってしまったら、その温もりを手放せなくなるという予感があっても、欲しかった。あれこれ頭で考えるより先に、手を伸ばさずにはいられなかった。

目の下にあるほくろが、ずっと好きだった。はじめて会った時からそこばかり見ていた。視線はずっとそこに奪われていた。切長の目の少し右下の位置、大きさ、色まですべて完璧だった。

身体で感じる感度でしか、その境界線を明確にできない。

身体が直感的に感じる好き。私はその中に「これは恋だよ」いう激動がある。


だからこそ、うまく言葉にできない。言葉にできないことが多いからもどかしいし、大事なことが伝わらない、伝えられない。

私の身体を貸してあげられたらいいのに。と何度も思う。

恋愛感情を持っている恋人も、そうではないけれど私がほんとうに好きだと感じる人も、

ただ好きなの、それ以上でも以下でもなく、ただ好きなんだよ。それが私が好きだと思う人たちにちゃんと伝わっていてほしい。

それでもやっぱり、「好き」に境界線は、絶対に必要なわけではないと思ってしまうんだけどね。



p.s.
Twitterのリンクをプロフィールに貼ってあるのですが、noteと名前が違うと誰だか一致しなくてリクエストを許可できずにいるのでnoteから、とDMいただけると嬉しいです!🕊



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