20200911

//根暗男子と不登校女子のありふれたボーイミーツガール

 僕はいま、ひとりの女の子と向き合っていた。
 名前は知らないが、僕はその子のことをひっそりと『うさぎさん』と呼んでいる。見た目的にウサギを連想するとか、そういうことでは一切なかった。一般的にいう「うさぎ系女子」なんてのは、ゆるゆるふわふわしていて甘えるのが上手で「寂しいと死んでしまう」みたいなパターンを押しつけられている、よく言う「イヌ系女子」や「ネコ系女子」とはまたちょっと違う厄介さを持った女子だと思う。

 外見だけで言うなら『うさぎさん』はそれこそネコ系女子に近いのではないかと思う。小ざっぱり切り揃えられた真っ黒なショートカット――なんとかボブなのかもしれないが僕は詳しくない――長い前髪から覗く目元はつり目気味で、化粧はしていないように見える。
 涼しげな雰囲気の目元だけれど目を伏せると奥二重であることがよくわかるし、見た目としても整っている方だと思う。
 ジーンズだったり、時折スカートだったりはするが、『うさぎさん』は基本的にラフな格好が多い。僕は制服を着込んでいるが、彼女の制服姿は見たことがない。同じくらいの年代に見えるけれど、このあたりに私服の学校があったかどうかは定かではない。

 ――この時点で僕が言っておくべきことは、『うさぎさん』に対して恋愛的な感情は一切ない、ということだろう。
 多くの人は男女――この頃はそうとも限らないけれど――がふたりいて、片方が片方に意味深な視線を送っていると、すぐに恋愛感情に結びつけたがる。僕は恋愛をまだしたことがないけれど、すぐに恋愛に結びつけたがる人ほど、実のところ恋愛をしたことがないのではなかろうかと思っている。

 学校帰りに毎日訪れていた図書館で、いつの間にか良く見かける顔になっていた彼女がどんな人間なのか。
 閉館のアナウンスが流れるまで僕と同じように本を読み耽り、あるいは参考書を開いて勉強に勤しみ、閉館のアナウンスが流れる頃に、ようやく思い出したように顔を上げる彼女がどんな人間なのか。
 単純に、興味を引かれただけだ。
 人間観察的な意味で。

 と、いうのも、『うさぎさん』に興味を持ったのも、『うさぎさん』を『うさぎさん』という呼称たらしめる理由も、彼女が鞄につけている風変わりなアイテムによるものだ。
 図書館からの帰り道が途中まで同じらしく、僕よりも早い歩調で坂道を下っていく『うさぎさん』の鞄には、一般的に「可愛い」というよりかは「渋い」といわれるだろう革細工だろう兎が揺れていた。喩えるなら――そう、神社で見かけるような干支の絵馬のような風情がある兎だ。こう言ってはなんだとは思うが、その革細工の兎には、結構、不気味な雰囲気すらあると思う。
 少なくとも、僕と同じくらいに見える女子が、その革細工の兎を好んで身に付けるかと誰かに訊かれたなら、『うさぎさん』を知る前の僕なら首を横に振っていたことだろう。「そういう人もいるかも」くらいは答えたかもしれないが。

 そして今日、たったいま。
 僕は『うさぎさん』に向き合っている。――というのも、彼女がその革細工の兎を落としたのが悪い。目の前で鞄から大きなアイテムが離れて、見て見ぬ振りをできないほどには、僕は常識人だったからだ。
 革細工を拾い上げて、あの、と思わず声をあげた僕を振り返って、『うさぎさん』はほんの少し怪訝な顔をした。
 そうだろうな、夕方の帰り道に唐突に呼び止められて、しかもその相手が男なら警戒しても仕方がない。

「――あ、」

 それでも『うさぎさん』はすぐに僕の手元に気付いたから、ことなきを得た。
 はじめて聞いた彼女の声は、思っていたより低くはなく、同級生の女子たちに近い高めの声だった。

「ごめんなさい、それ――」
「あ、はい。えっと……」

 喋るのは嫌いだ。頭のなかは忙しくちゃんと考えられているのに、声帯を通すと途端に僕は意思疎通が下手くそになる。『うさぎさん』が自ら手を出してくれたので、僕もまた革細工の兎を差し出した。指先が触れるなんてこともなく、革細工の兎は持ち主の鞄のなかに帰っていった。

「ありがとう。……2組の人だよね?」
「え?」
「青中の。違った?」

 今度はおそらく僕の方が怪訝な顔をしていたのだと思う。
 『うさぎさん』は少しだけ笑ってから「見たことあるから」と言った。

「うさぎさんは、」
「え?」

 何の違和感もなく『うさぎさん』を声に出してしまってから、ああ、しまった――と思った。
 それでもその後続けられた『うさぎさん』の言葉には、それほど不愉快そうな響きは含まれていなかった――と、思う。

「なんだ、やっぱりそうか。知ってるんじゃん」
「……え?」
「うさぎさん。学校、年に数回しか行ってないけど、何人かそう呼んでるでしょ、私のこと」

 そう言われて、ようやく脳裏の隅っこの方にまとめて寄せられていた雑多の記憶のなかにチラつくものがあった。いまとなっては高校受験を控えている僕だが、一年の頃からずっと不登校をしている女子がいて、確か、ひとり――そう、うちのクラスにいたはずだった。

「昔からよく言われたけど。ウサギじゃなくて、ウサミだから」
「いや、えっと……その、その兎が、干支っぽかったから……」

 自分でも要領を得なさすぎると思う。それでも『うさぎさん』――ウサミさんはなんとなく、僕の言いたいことを拾ってくれたらしく、「ああ」と相槌を打って笑った。

「それじゃあ竹中くんは『トラくん』かな」
「え?」
「寅年だろうし、ほら、それも。阪神ファンなの?」

 私のおじいちゃんもそうだから、と、ウサミさんは僕の鞄についていたキーホルダーを示して笑った。不登校を続けている割に、僕がそういう人たちに持っていたイメージ以上によく笑うし、僕はさっきから「え?」としかうまいこと発音できていないのに、ウサミさんは意外に優しいのかもしれない。

「……いや、僕、卯年で」
「え、ほんと!? あはは、なら私と同じだ。早生まれ仲間だね」

 阪神タイガースについてに僕の話が及ぶ前にウサミさんが笑ったので、僕は続きを絞り出せなくなってしまった。その沈黙をどう捉えたのかはわからないが、髪を揺らすように小首をかしげたウサミさんは、「行こうか?」と言う。相変わらず曖昧にしか言葉としては返せない僕は、ウサミさんに従うように横に並んで歩き出した。
 夕陽は赤いが、似合うだろうにカラスは鳴いていない。

「学校では言わないでおいてね、私が図書館によくいるって」
「あ、うん」
「ありがと。それじゃあまたね、『トラくん』」

 悪戯っぽくウサミさん――『うさぎさん』は笑うと、坂道を降りきった先、僕とは別の方向に歩き出した。
 僕は慌てて振り向きながら手を振った彼女に対して、右手を振り返す。

 実のところ、僕も阪神タイガースファンかといえばそうではなくて、祖父を中心とした家族が好きなだけだったりする。家族のなかにだって「人付き合い」はあるので合わせている、そんな感じだ。
 それでももし、明日また『うさぎさん』と顔を合わせたときにそれを説明できたら、話が続くだろうかと考えて、僕は少しだけ、普段は面倒でしかない祖父の野球語りに付き合ってもいいかもしれないと思う。

 そうすると、普段はできている予習復習や宿題をする時間がほとんど無くなったりするわけだけれど――。
 もしかすると、それだけの代償で学校で「学ばねばならないこと」以外を知っていそうな『うさぎさん』の気持ちが少しだけわかるかもしれないと、僕は形容し難い期待のようなものを持っている自分自身に気付いていた。


(おしまい)

*20200911に別所で書いたものを個人アカウントにシューッ!

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