無目的、無制限、無計画

キリン研究者・郡司芽久の著書『キリン解剖記』(2019)という本の終盤に、博物館の存在意義が述べられている。それが「無目的、無制限、無計画」という3要素だ。
博物館は、必要になるかどうかはわからないけれど、いつか必要になる人が出てきたときのために保存する場所であるという。それも、同じように見えるものであっても何個でも何種類でも。なぜなら、いつの日か科学が進歩して、現代では同一視されているものが異なるものとして識別される日が来るかもしれないから。

だからすぐに誰かが必要としているわけではないけれど、とりあえず、たくさん、なんでもかまわずに保存していく。

博物館は「無目的、無制限、無計画」を目的としてはいるが、予算が当てられて、土地が用意され、設計図通りに工期内に建設される。博物館という物理的な制限のある空間の中に(現実的には予算もだが)、無限大の理念が内包されていること自体がなんとも素敵だ。

いま思えば、小さい頃は実家の押し入れで自然にこの3要素を実践していたのかもしれない。学校で作った絵や工作、使い終わったノート、教科書、鍵盤ハーモニカなど、整理することもなく突っ込んでいった。そのおかげで、いまだに実家に帰省するたびに押し入れを片付けるように言われるわけだが、毎回手を付けずにいる。私以外は開けないし、保存状態を確認しないという点では博物館とは異なるのでもはや単なるパンドラの箱同様である。

さて、このnoteは私が死んだとしても、ページが抹消されない限り、いつか誰かの目に留まるだろう。別にこんなnoteに特別の価値があるとは思えないが、そんなときのために、無目的、無制限、無計画に記述していこうと思う。ゆえに主題はまちまちだし、短文かもしれないし、定期的に更新しようという気は端からない。3要素を意識せざるを得ない労働に日々追われているからだ。その抑圧された日常と対照的な空間を、ここに築いていきたい。

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