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ソープオペラとしての「HOUSE OF GUCCI」

 「HOUSE OF GUCCI」を観てきた。マウリツィオ・グッチが暗殺されたのは、当時テレビのニュースで見て驚いたことをよく覚えている。もう26年前のことなんだな。ブランドの華やかな世界の裏側にそんな血なまぐさいことがあるものか、と非常に興味深く感じたものだ。時が経って仕事でこのブランドと関わりを持った当時はまだグッチグループと評されており、系列にYSL、ブシュロン、セルジオロッシ、ボッテガなどラグジュアリーブランドがあった。その後、PPR傘下となってからはケリング・グループと名を転じて今に至る。

 映画に対してグッチ一族からは非難の声が出ており、トム・フォードのコメントも「これは茶番なのか。何度か声を出して笑ったが、作り手が意図したものかどうかはわからない」と単純に戸惑いの評価をしている。鑑賞してみるとその理由がよくわかって面白い。最初に断っておくと映画はよくできたソープオペラであり、楽しいコンテンツであった。面白く2時間を過ごせることは請け合い。ただ、よくも悪くもソープオペラなのだ。

 個人的にもっとも感じたことは、「これはメガブランドに過去起きたスキャンダルをさらっとおさらいしましょう!」という映画なんだな、ということだった。けれどそれにしてもグッチ一族の遺族の訴えにあるように丁寧な取材のもとブランド側人物像を掘り下げた感じがせず、登場人物のそれぞれをデフォルメしたキャラとして描くことに徹したイメージ。勿論、既にブランドに一族が参画していない事業であるので、制作において本当に真摯に作ろうとすればブランドビジネスサイドと一族サイドの思惑が違うだろうから、収集をつけるのに手を焼くのは必至。ただ、このモチーフを扱うのであればもう少しどこかに深さが欲しかったなーとは惜しく思ってしまう。

 レディ・ガガ演じるパトリツィアの人物像についてもそうだ。ブランドについても、ブランドビジネスについても、そして何より殺されてしまった哀れなマウリツィオについても。もう少しどこかにフォーカスしてみてもよかったのではないか。いやいや違うのか、「スキャンダルのおさらい!」がメインテーマだったのならそれらは不要なのかな。

 ちなみに年末、「LAST NIGHT IN SOHO」を観たのだがこれはあまり期待しないで観たところ、結構面白かった。レトロファッションが好きな人はさらに興味があるかも。ファニーフェイスのアニャ・テイラー・ジョイがキュートだった。

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