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終わり方・終わらせ方

 どうしてそういうことになったのだろう。他人事ながらなんだかとても胸が傷んで、考えても仕方ないことに思いをめぐらせてしまう。
 結局、本当の意味での他人事って存在しないのかもしれないな。みんなどっかおんなじ地球の上に生きているから、どっか小さい分子レベルで分け合って共存してるのかもしれない。わからないけど。

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 住んでる街のあるジャンルの飲食店が今月クローズするそうで、それ自体は昨今残念ながら増えているニュースではあるんだけど、口コミ掲示板を見たら店主の辞める理由を非難する声があって驚いたのだ。それがきっかけで随分情報を探しにいってハマりこんでしまった。というのも、どうやらここ数年は店主その人のふるまいを非難する風潮が多かったようなのだ。「え、ほんとうに?」と私なぞにわかに信じられない。かなり以前に数回訪れたが、逆に接客が丁寧で良い印象しかなかったからだ。そうしてさらに情報を深掘ると、やっぱりここ数年で店主は別人並みに変化しているような口コミの数々に出逢った。いったい、なにが?

 そこで検索をすると店主がサラリーマンから開業準備をしている段階のブログを見つけた(ストーカーではない)。お金をコツコツ貯めて、夢だった独立開業を果たす前夜の記録は、感情的でなく物理的な工程をつづっているが時折現れる、送り出してくれる職場への愛や開業する食品への深い情熱と愛、そして自分の力でやりたいことをやろうとする意欲にあふれていた。
 物件の契約やさまざまな食品などを自分の理想を追求するために東奔西走する様子が勢いのある展開でつづられており、やっぱり私が知っているのはこの人なんだよなぁ、と腑に落ちない。

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 今時点からさかのぼって何かが起きたであろう時や出来事を知っても、まったく意味などなさないのだけど、胸が傷んだのは彼の人が開業前にとりわけ心を尽くしてこだわっていた部分が、現在ほとんど真逆に進行しているという事態がつらい。そしてそれらをもっともよく表しているな、と思われたのは現在の店舗の写真だった。店主からの細かい注意書きがあちこちに貼られている。かつて、店主がこだわった外装はおだやかでシンプル、食事と客が主役であることを尊重する心にあふれていたのに。

 ひとつの小さなお店が閉じるわけだが、この10数年の間には非常な人気を博し、都心の一等地に別店舗もオープンしさまざまな評判を呼んでいたのもおぼえている。アルバイトではなく正社員を雇用するほど拡大し、仲間を着実に増やしながら理想を具現化していっている様子が、過去のブログと現実の記憶からありありと映し出されており、それが最後のメッセージにすべてを否定した自虐的に思える理由をオープンな場で堂々と掲げ店じまいするなんて、店主の方の負った傷を思うと考えてしまう。いや、私なんかがそんなこと思い馳せても無駄なんだけども。

 ブログ記事、ツイッター、Googleの口コミ、これらを数時間にわたってチェックして悶々として眠りにつくとなんと夢のなかでも私はそのことを探っていた(笑)。
 そして、その夢のなかで店舗を遠くから眺めて「一体なにが…?」と探偵のように様子をうかがっている私の隣に、ある人が出てきてなにかをささやいたのだが、なにを言われたのかは覚えていない。けれど目がさめたとき、その人が出てきた意味もわかった。

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 その人は大手企業から上場のために引き抜かれてきた執行役員として知り合い、上場のスケジュールが何度も変更となり、つい先ごろ突然退職してしまったのだった。そしてその後もまだ上場はできていない。上場のために集められた歴戦の兵として参画し、自分にはどうにもできない理由のなかでそのスケジュールが幾度も変わり、けれど腐らずにやれることをやり抜いておられたのを多少ながら知っている。でもこの人は、ひと言もなにも言わずに去った。

 みんな生きていれば大なり小なりこうした経験があるんだと思う。去り方だってそれぞれだ。夢の閉じ方にしたってそれぞれある。

 たぶん最後は矜持が救うんじゃないか。最後だからもうどう思われたっていいからストレスをぶちまけるのか、ぶちまけた結果それまで良い経験の思い出として人々にあったそれらにも泥を塗ってしまっていいものか、
 それとも全部飲み込んで他者を責めることもしない代わりに自己弁護もしないことで、少なくとも自分と、自分と関わったすべてのことへの清廉さを残すのか、それの違いはやっぱり生き方の矜持なんだと思う。

 けれど一方、そこまで破れかぶれで終わりにしていく冒頭の店主の在り方もやむを得ないとは思う。とにかく今回ものすごく考えさせられた。

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