今死のうとしているあなたへ

わたしにはうつ病の彼氏がいる。彼はついこの間、自殺を試みた。

その日は、死ぬ方法を検索しまくっているのを察知して急いで連絡をとって、彼にいろんな言葉を投げかけた。生きることを前向きに捉えて欲しいというより、とりあえず死ぬのを先延ばしに出来ないかという提案だった。

それでも彼は自殺を試みた。ラリーが続いていたラインの数分間の沈黙の末、「ドアノブの構造的に無理だった。体重をかけるとロープが外れてしまって死ねなかった。」と連絡が来た。

彼はその時、死んでしまったんだと思った。止められなかったと思った。できるだけの言葉をかけた。「わたしも自殺を試みたことがあるから、死にたい気持ちに少しは共感ができる。」「それでも死ぬのを先延ばしにしてもらえないか。」「わたしはあなたに生きていて欲しい。」しかし彼はドアノブにロープをかけ、首を吊った。実際には成功しなかったけれど、わたしの言葉で彼の行動を止めきれなかったということは、わたしにとって彼が死んでしまったのとほとんど同じ意味だった。


わたしの数年間の苦しみは、一体なんのために存在していたんだろうと思った。何度か死のうとしてきたわたしに、「そうやって苦しんできたってことは、きっと誰かが苦しんでいるときに、寄り添ってあげられる力になる。」という父の言葉は、わたしにとって希望だった。誰かの役に立てるなら、誰かを引き止めることが出来るのなら、自分が死にたかった数年間も、そう悪くはないと思えた。

でも、彼を止められなかった。

死にたかった当時、毎日毎時間毎分死ぬのを先延ばしにして生きている感覚だった。「あなたには生きていて欲しい。」と友人に言われても、「そうかもしれないけど、わたしは死にたいと思っている。今はその感情の方が大事なんだ。」と思いながら、とりあえずで「ありがとう」と伝えていた。希死念慮は黒くわたしを包んで膜を張り、仲の良い友人の言葉すら届かなくしていた。だから彼がロープを掴んだことは、もうどうしようもないことだったのかもしれない。

それでも、寄り添える人間でありたかった。もしかしたら、彼の行動を止めようとするわたしの言葉が彼をもっと苦しめているかもしれない。わたしではない他の誰かなら、彼を止められたのかもしれない。もっと他に、欲しい言葉があったのかもしれない。

今日も、「死にたい」と彼から連絡があった。彼はそういう大事なことを話さない人だから、つらい時や苦しい時は教えて欲しいと事前に頼んでおいたからだ。自分でそう言っておきながら、いざ報告されても、わたしには、何と言えば彼を傷付けずに済むのかわからない。あたたかい言葉のかけ方がわからない。

彼が死を選び取ったその日、わたしは恋人がつらい思いをしていることよりも、世界に苦しんでいる人がいることが悲しかった。わたしは今は死のうとは思わなくなったけれど、世界にはまだ、自ら死に手を伸ばす人がいる。しかもそれを止める方法がわからない。止めることが正しいことなのかももはやわからない。それがどんなに悲しいことか。

今日死のうとしている世界中のあなたへ。
わたしは、あなたのことを知らないけれど、あなたの周りの人は、あなたが死んでしまったらきっと涙を流すだろう。それは今のあなたにとっては、そんなに重要なことではないのかもしれない。この言葉が届かなくて、いつかは自ら死を選び取ってしまうのかもしれない。それでもあなたが今、生きていて、本当に良かった。生まれてきてくれて、本当にありがとう。

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