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掌編小説「白痴」


 白痴

 

「山口さん、『遠野物語』って知ってます?」

 窓際のテーブルにマグカップを置くやいなや結城さんはそう言った。いつにもまして唐突だった。楚々とした外見に不似合いな荒っぽい動作にコーヒーの表面が揺れる。(あ、こぼれる)と思ったが、こぼれなかった。それを見届け、私もロングスカートの裾を捌いて彼女の向かいの席に着いた。

 私の周りでスタバでアメリカーノを頼むのはこの子ぐらいだ。リアルの友人たちはみんなカプチーノやフラペチーノを頼む。こんなところにも結城さんは少し違うと感じる。いや、目の前の彼女だって生身の人間だからリアルには違いないのだが、学校や職場といった普通の生活圏で出会った友人ではないという意味だ。

 結城さんとは半年ほど前に近県で開催された文学フリマで知り合った。私より五つ下の21歳で、まだ学生だ。ブースが隣同士だったから何となく連絡先を交換して、それ以降、ときどきラインをしたり実際会って執筆の話などをするようになった。

 「確か岩手とかその辺の民話を集めたものだよね?」

 読んだことはないが、名前ぐらいは聞いたことがある。

 「新作のネタにするの?」

 そう尋ねると、結城さんは予想外のことを聞かれたかのように一瞬ポカンとした。そんな気の抜けた表情をしても美人に変わりはなかった。少しの間の後、「ああ、まあ、そんなところです」と答え、取り繕うような笑顔を浮かべた。

 『遠野物語』の中でも結城さんが特に興味を持っている話があるのだと言う。

 「村に白痴の男の人が一人いるんですけど...」

 「"白痴"って言葉、今アウトなんじゃない?」

 今は"重度精神遅滞"だとか"知的障害"と言わなければならないのではなかったか。

 「あ、そうですかね。でも今はプライベートな文学談義だから良しってことで。それに私、白痴の方が言葉として好きなんですよ」

 あれ、と違和感を抱いた。私はときどきこうやって口を挟んでうっかり他人の話の腰を折ってしまうことがあるのだが、結城さんはいつも気にする素振りを見せず、一緒に話が右へ左へ脱線するのを楽しんでくれていた。しかし今日はそんな余裕がないようだ。それにこんな風に結城さんが我を通すところを見たことがなかった。いつだって年上の私を立ててくれているようなところがあったのに。

 結城さんはかまわず話し続ける。

 「その男がときどき他人の家に石をぶつけて『火事だ、火事だ!』と叫ぶことがあるんです。そうすると決まって数日後にその家は火事になったんですって。まるで予知能力があるみたいに」 

 「その人が放火してるとかじゃなくて?」

 「もちろん、そんなんじゃありません」 

 村人は気味が悪いやら怖いやら、しかしせっかくの予知を無駄にすまいと火事を何とか避けようと試みたそうだが、運命を逃れた家はなかったという。

 「山口さん、この話どう思いますか?」

 結城さんが真剣な顔で私に尋ねる。

 「どうって、障害者とか奇形の人が超能力を持っていたり、神の使い扱いされるのは割とよく聞く話じゃない?大きなものを失った人はそれと引き換えに大きな力を授かっているっていう迷信だよね。ほら、インドとかでも頭が二つある赤ちゃんが生まれて有難がられてなかったっけ?障害者の人たちが差別されたり、虐待されないようにするためにそういうことにしてるんだろうね」

 私だってアマチュアとはいえ物書きの端くれだ。日頃から本やニュースで幅広い知識を得る努力をしている。これは、その一端を披露した発言のつもりだった。しかし、結城さんは私の答えに満足しなかった。

 「それは山口さんは基本的にそういう言い伝えが作り話だと思ってるってことですよね」

 「違うの?本当のはずなくない?」

 「私は、完全な作り話じゃなくて、そういう異能の人が実際にいた可能性があるんじゃないかと思っているんです。遠野の話も、実際に起こった事なんじゃないかって......」

 結城さんのやけに深刻そうな眼差しから逃げるように私は窓の外に目をやった。占いやオカルトには興味がないと言っていたのに何か心境の変化でもあったのだろうか。それとも、やはり先程の言葉は嘘ではなく小説の構想を練っているだけなのだろうか。

 通りを歩く通行人や街路樹の緑をしばし眺めてからまた正面に向き直ると、彼女は手元のコーヒーに落としていた視線を上げた。

 「昔は障害者は神仏の変身した姿だから、って大切にされたこともあったんですよね。でも科学や医学が発達したせいでそういうのは全部迷信で、ただの治療対象の欠陥人間ということになっちゃったんですよね。科学のせいで魔法がとけてしまったんです。ミシェル・フーコーという有名な学者もそんな感じのことを言ってるらしいです」

 「フーコーって振り子の人だっけ?」

 私の言葉に結城さんは一瞬口をつぐみ、曖昧な笑みを浮かべたが、またすぐに話し続けた。

 「白痴の"白"って余白の"白"でしょう?空の容器みたいな感じしません?空っぽのスペースがあるから、外から別のものが入ってこられるのかも......。イタコは知らないけど、外国のシャーマンは麻薬でトランス状態になってお告げを聞いたりするといいます。それってわざと人工的に白痴状態を作ってると言えると思いませんか?オカルト的な話じゃなく、意識が空になったときにだけ感知できるものがあるのかもしれないって思うんですよ。頭の中で幻覚を見ているわけじゃなくて、意識や自我のしっかりした人には感じ取れない外からの信号とか刺激だとかを感知している、ってこともあり得るんじゃないかって......」

 私の顔を見ながらもまるで心はここに在らずといった様子で話していた結城さんだったが、居心地の悪さから私が椅子の上で小さく身じろぎをするとハッと我に返ったように急に明るい口調で言った。

 「......と、こんな感じのテーマも面白そうだと思ったんですけど、やっぱり小説にするには難しそうですね。ほかにも今執筆中のがあって青春ものなんですけど...」

 それからはいつもの結城さんだった。私たちは適当に雑談をし、一時間ほどして店を出て別れた。

 

 それが結城さんと話をした最後だった。

 彼女の一人暮らしのアパートが火事で全焼したと人伝てに聞いたのはそれから一カ月ほど後のことだ。彼女は軽傷ではあるものの顔や体に火傷を負ってひどくショックを受けており、地方の実家近くの病院で治療を受けているということだった。携帯電話はつながらなかった。火事で焼けたのかもしれなかった。

 

 私は内心、安堵を覚えていた。

 結城さんと別れた後、すぐに調べたのだ。地球の自転を観測するために振り子の実験をしたのはレオン・フーコーで、結城さんの話に出てきたミシェル・フーコーとはまったくの別人だった。自分の誤りに気付くと、顔から火が出るような羞恥を感じた。

 私の知ったかぶりは結城さんに見透かされていた。年下の結城さんより知識の量で負けていることを必死に隠しているつもりだったが、きっと会話の端々からばれていたのだ。いたたまれなさでどうにかなりそうだった。それと同時に、結城さんが表では私を立てる振りをしながら裏では見下していたに違いないと思い、腹立たしかった。
 あの日の会話を思い返すたび、結城さんが繰り返した"白痴"という言葉がまるで私への当てこすりのように感じられてならなかった。

 だけど、もうそんな感情から解放される。
 私の世界から結城さんは消えた。

 彼女は怯えていたのだろう。
 あの会話の数日前、きっと結城さんのアパートに石をぶつけ、「火事だ!」と叫ぶ何者かがいたのだ。しかし、それが異能の人間であろうがなかろうが私にはどうでもよかった。何の興味も掻き立てられなかった。ただ、結城さんが消えたことが嬉しくてたまらなかった。



<終わり>





これまでは「ちょっといい話」しか書いたことがなかったような気がしたので、今回は「ちょっと悪い話」に挑戦してみました。
才能のある同性に対する醜い嫉妬心、私の心にもあります。反省。

なお、私はフーコーの『狂気の歴史』は未読です。

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『遠野物語』がモチーフのこんな掌編も書いています。

こちらも民俗学ネタのショートストーリーです。

 

 


ありがたくいただきます。