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アブラハムのイサク献祭➖私の場合

創世記第22章1節〜19節
これらの事の後、神はアブラハムを試みて言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地にいき、私が示す山で彼を燔祭として捧げなさい」。・・・・・・・・・・・・・
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たき木を並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使いが天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべに手をかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、私のために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを私はいま知った」。・・・・・・

私達が信仰の道を行く時、時として神様は自分の一番大切な者を犠牲にする事を要求され、私達の信仰を試されることがある。アブラハムの場合、神様はアブラハムに鳩と羊と雌牛の三つの供物を裂いて献祭するよう求められた。アブラハムは羊と雌牛を裂いて供えたが小さい鳩は裂かなかった。これにより献祭が失敗に終わる。この失敗を償わさせるために神様はアブラハムにさらに大きな試練を与えられて、ひとり子イサクを捧げなさいと要求された。アブラハムはそれを信仰によって勝利した。神様はアブラハムの信仰が欲しかったのである。

高校一年生の終わり頃に統一原理に出逢って、キリストの再臨が私の生きている今のこの時代である事を知った。そして私は「この真理の御言葉を世界の果てまで伝えます。」と神様に誓った。一方現実的には私は農家の息子であり三男ではあるが、2人の兄達がそれぞれ希望の道に進んだので私が農家の跡取りになる事が自然の形で決まっていった。先祖代々から受け継がれた本家とこの土地を後代に引継ぐ事が私の両親にとって何よりも重要な事柄であった。私の両親は私の高校卒業後の進学先として北海道の酪農学園大学を探し選んでくれた。この大学はミッションスクールであの有名な札幌農学校のクラーク博士の教え子達によって建学された大学で、キリスト教精神で日本の農家の師弟を育てる事を目的としていた。神様を愛する信仰と両親を愛する親孝行は私の心の中では矛盾するものではなく共存していた。大学時代も教会活動をしながら勉学にも励んでいた。当然大学を卒業したのちは故郷に帰って農業をする予定だった。

ところが大学2年生の終わりの頃、私の人生にとって重大な決断を迫られた。家庭連合の北海道全体の責任を持つ責任者である地区長さんから毎日の様に説得され献身を迫られた。学業よりも教会の活動に熱心だった私に目をつけられた。神様の為、日本と世界の為に貴方の人生を捧げないか、2000年待ち望んだイエス様が再臨された、共に働かないかと。しかし私の故郷には私の卒業を指折り数えて待ってくれている両親がいる。そんな両親を裏切ることはできない。私の大学進学の為に親戚を回って借金をしてまで、入学金や毎年の授業料や生活費を工面してている両親に申し訳が立たない。

神様の道を行こうとする者、神様に選ばれた者、いわゆる選民は時として茨の道、犠牲の道を歩まなければならない事がある。神様はアブラハムに住み慣れた故郷を離れる様に命じられた。そして、神様はアブラハムを祝福してあなたの子孫は夜空の星の如く、浜辺の砂の如く増えるだろうと言われた。アブラハムは神様の言われるまま、信じて行った。神様の祝福とは裏腹にアブラハムと彼の妻サラの間には年を取ったのに子供が居なかった。星の数ほど貴方の子孫は増えるであろうと言われた神様の約束はどうなったんだろうと諦めかけていた。そんな年寄り夫婦の間に奇跡が起こり一人息子イサクが誕生する。そんなかけがえのない一人息子イサクであるが、イサクが少し大きくなって分別が出来る様になった頃、神様はアブラハムにひとり子イサクを燔祭にして捧げろと命じられる。アブラハムはイサクを燔祭に献げるなら自分が死んだ方がマシだと考えたに違いない。それでもアブラハムは神様はの言われた通りイサクを殺そうとした時、み使いの天使がやってきてそれを止めた。神様が欲しかったのはイサクの命ではなく、アブラハムの信仰だった。

家庭連合の北海道の責任者が私に献身を迫った時、信仰の道を行くものはアブラハムの様に最も私の愛する者を犠牲にしなければならない神様の試練だと悟った私は、涙を飲んで献身を受け入れた。両親には本当に申し訳なかった。それでもいつかは帰ってくると信じ続けた年老いた両親だった。私も私の使命が終わったら故郷に帰るつもりだった。

数年後更なる試練がやってきた。1975年文鮮明先生が来日され、今から世界124ヵ国に宣教師を派遣したいと宣言されたのだ。一ヵ国に日本人、アメリカ人、ドイツ人の3人づつ派遣する。この三ヵ国はかっては敵国同士であるが協力して仲良くやる様にと言われた。私はベトナム宣教師に任命されたが当時ベトナム戦争真っ最中で入国できず、以後シンガポール5年、香港3年、アフリカのウガンダ10年、ロシア3ヶ月合計18年宣教師として歩んだ。この海外宣教に出かける時も両親に3年間だけ時間を下さい。3年終わったら帰ってくるという約束が7年になり、とうとう18年もかかり両親には迷惑をかけっぱなしだ。しかし息子は家庭や日本を犠牲にしてまで世界のために頑張ってくれていると理解して誇りに思ってくれた両親に感謝している。そんな両親は2人とも他界してもうこの世にいない。神様とキリストと世界の為に息子が尽くしてきた事を神様が少しでも覚えてくださって、両親があの世で少しでも神様に近い所で過ごしていれば幸いだ。ところで、本家の後継問題は幸いなことに長男である兄の家族が帰ってくれて両親の後を継いでくれて、本来継ぐべき人が継いで丸く収まった、振り返って見れば全て神様が責任を持って下さった、感謝だ。

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