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台湾の歴史・民主化・白色テロ・デモetc.を話した「台湾ラジオ」について(その1)


台湾の民主化の歴史を追ったnoteは、結構時間をかけて今年書き終えたものですが、折よく台湾人の友達ができ、一緒に台湾のことを話すラジオを録音しました。
全2回のラジオ、第1回を更新済~


台湾ラジオ 第1夜


ラジオの中で話していることは(英語ばっかりだけど)、ラジオで聴いていただいたほうが分かりやすいし嬉しいので、こちらでは実際に台湾の方と話してみて、改めて考えさせられたことについて少し書いてみたいと思います。
書くことで改めて整理できることもある…!


その1:台湾と日本の関係の特殊性について

 自分は「韓国は嫌日」「台湾は親日」という報道やなんかを見聞きして、結構ずっと疑問に思ってました。自分の韓国人の友達はいい奴だし、台湾の人ってなんで親日なんだろう、というような。
 ラジオを一緒に録ってくれたJupiterさん(以下、ジュピちゃん)が「植民地にした国⇔植民地にされた国」の関係で日本と台湾の関係は特殊だと言っていましたが、まずもって大前提で、日本は台湾を植民地にしてたんですよね。その事実は本当に揺るがなくて、他所の国に勝手に行って、「ここ、これから日本だから」と、その国の人を日本人として(もしくはもっと酷く)扱うわけですからね。
 ただ、植民地時代に日本がもたらした恩恵として、台湾国内の道路や農業や他のインフラなんかを整えたのですが、それが台湾の近代化につながったと。でもそれは結果論であって、日本のためにやったんですけれども。
 で、そういった日本による植民地化が台湾の近代化のきっかけになったという点に加えて、もう一つ台湾の人にとって日本が良く見えるというのは、1945年の終戦で日本が撤退した後、国共内戦の敗戦で撤退してきた中国国民党(外省人)による台湾の統治が、日本の植民地時代よりももっと厳しいものだったということですね。いわゆる白色テロ時代です。
 また、ジュピちゃんの見解によれば、ジュピちゃんのおじいさんが生まれたのは日本植民地時代で、おじいさんが幼いころは本当に自分を日本人だと思って育ったと。日本の教育体系で教育されたことが台湾人にとってベストだったとはまったく思わないんですが、でもおじいさんは幼いころの経験を懐かしいような気持でもいるそうなんですね。懐かしい気持ち、それは日本植民地時代において悪いことだけではなかったんだろうなと思いますし、その後の白色テロ時代の苛烈さ厳しさを想像してしまいます。
 あくまで結果としては、台湾に親日の方が多いのも頷ける背景ではあるのですが、当事者たる私たち日本人が、そのあたりの歴史を知らずにいるのは、少し違うなぁと感じたのでした。移行期正義の話もありましたしね。台湾でのトレンド、移行期正義。耳が痛い。。


その2:本省人と外省人の問題。今と昔。

 台湾の歴史を紐解くと、この本省人と外省人の問題はめっちゃ難しいと思っていたのですが、ジュピちゃんとよく話す(飲む)ようになって意外に感じたのは、台湾の若い人たちがそこまでこの問題を大きく捉えていないということでした。
 ラジオの中で私は「時間が解決してきた」と表現してますが、時間とともに「理解しようとしてきた」という台湾の人たちの努力もあったのだろうと想像しています。(昔は外省人から本省人へのいじめというか迫害、逆に本省人が外省人をみつけたらとにかく殴るといった事象なんかもたくさんあって、本当に深刻な社会問題だったですよ。。)理解しようという努力と、政治的な流れと、それらが合わさって時間が進んだうえでの「我々は台湾人だ」というアイデンティティに至ったこと。それって単純に、本当にすごいことだと思いました。
 なぜだか、日本人としての自分は、自分たちの抱えた矛盾や歴史を「理解しようとする」プロセスや思考を持ってこなかったんじゃないかと思います。それは社会とか教育のせいにもできるんだろうけど、「理解しようとすること」の努力は手放しちゃだめなんだと思いました。


と、いうことで、改めてラジオを編集・公開して、考え直したのはこんなことでした!
勉強しないとですなぁ。
あ、おそらくですが、ラジオの中でジュピちゃんが「ミンギ」って言ってて、その時はわかんなかったんですが、おそらく「民意」ですね。
あと、「humiliation:屈辱、辱めること」も聞き逃してました。
勉強、勉強。


ぜひとも、台湾ラジオ、お楽しみください~
(何度でもリンクを貼ってやるぜ


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