楽しくない原因を探る手は
たとえば学校で国語の授業が楽しくないって思ったとき。まず、そこで、「何で楽しくないんだろう」と考える人と考えない人がいる。
案外、考えない人も多い気がする。楽しくないから→やらない→聞かない→どうにか授業時間をつぶす、という方向に一直線。
「何で楽しくないんだろう」と考える人の中にも、自分の外側にのみ原因を求める人と、自分を含めた複数の原因を探る人がいる。
「先生が悪い」「学校が悪い」「教科書が悪い」と即答して、自分の力ではどうしようもないと考え、どうしようもないから→やらない→聞かない→どうにか授業時間をつぶす、という方向に一直線。
自分を含めた複数の原因を探れれば、どうにか打つ手があるかもしれない。
と思ったのは、結城浩さんのnote「長距離走と貝殻」の
“国語という科目の特質なのか。教科書が悪かったのか。教師が悪かったのか。私が非力だったのか。”
って文を読んだからだ。
国語の授業が楽しくないと感じて、この複数の原因をさささっと検証する流れが、凄いよなー。原因を複数の視点から検証すべきだという姿勢が当たり前のように備わってる(ようにテキストから読める)。
複数の視点から原因を検証するとはどういうことか
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