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Y:88 内閣支持率と贅沢な悩み

2023.7.23

⚠️政治的な話にはなりません。

内閣支持率が上がった下がったという話をよく耳にする。この数字、重要な気もするが、不思議な数字にも思える。

一般的には支持率は高ければ高いほどいいと思うが、内閣支持率でよく聞くのは40~60%ぐらいの間だ。内閣支持率90%なんてことはまずない。(85%あったようだ)逆に9割超えていたら、調査が怪しいか、態度を正直に表明できないような状況なのかもしれない。

じゃあ、この数字が誰かの何かに影響を与えるのかというと、よくわからない。確かに、解散が近いとか、政策が支持されている・いないとかを知る一つの手がかりにはなる。ただ、一有権者として支持率を見て、自分の行動が変わるのかというと、個人的には変わらない。

結局、内閣支持率というのは、他人がどう考えているかの数字に過ぎず、それが内閣の正しさを表しているわけではなく、自分の正しさや間違いを示しているわけでもない。

ふと、自分支持率(私を知っている人が私を支持するか)を想像してみた時に、これが40~60%ならけっこう辛いなと思う(笑)なんなら9割超えていてほしいと思ってしまう。上に書いた考え方でいけば、他人が支持しようとしまいと、その率が何か自分の正しさを表すことではないだろう。それって、他人が自分のことをどう思っているかというだけの話だ。


悩み事を吐露する(されている)時に、持っている悩みを謙遜というか大したことではないことを表す時に
贅沢な悩みなんだけどね…」
ということがある。自分の悩みよりもっと大変な人がいるから、自分の悩みなんて(取るに足らない)っていう文脈で使われることがある。

自分に当てはめてみたり、その言葉を聞く中で思うのは、他人の悩みに比べてどうであろうが、今の自分がそれに悩んでいるという事実は、紛れもないことで、その悩みの重さは尊重?受け止めるべきなのだろうということだ。

自分より大変な状況の人は想像すればいくらでもいる。それに比べれば、自分の悩みはなんと軽く、嘆くべきでないという考えの持っていき方は、ライフハック的な意味はあるとは思う。

ただ、自分(誰か)が悩みを抱えているという事実(重さ)とそれが他人の悩み(重さ)とは比較対象にはならないのだと思う。世界のどこかで食べ物に困っている人はいるが、だからと言って自分の空腹をないがしろにすることはない。そういう意味で、贅沢な悩みなんだけどといって、悩みに蓋をする必要はないんじゃないかと思う。

内閣支持率にしろ、贅沢な悩みにしろ、大切なことは、今そこにいる自分(誰か)がどう受け止めているかということだ。



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