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Y: 27 マーサの手は汚れない

*久しぶりにマーサを見て同じことを思ったので2015年に書いたものを再掲
写真はMarth Bakes より 

雨の日曜日。なんとなくテレビをつけて見ていると、Martha Stewartの料理番組がやっていた。
「マーサの楽しい焼き菓子作り」と「マーサの楽しい料理教室」。
アメリカにもいろいろ料理番組はあるのだろうけど、私のイメージする日本の料理番組とは、ずいぶん違う。

“この違和感は何だろう”と思いながら見ていて気づいたのは、「まねできない感」かなと思った。作る料理はおいしそうだし、番組全体から醸し出されるかっこよさはあるんだけど、じゃあ、これ今度、私が作ってみようとは思えない。これこそがカリスマ主婦なのか(笑)あまりにも先を走りすぎていて、私は置いてけぼり。

置いてけぼりをくらったら、もう、あとはツッコミを入れながら見ていくしかない。

①マーサはあまりエプロンをしない

そのままオフィスにでも行けそうなブラウスを着ている。服に油などが、はねたりしないか心配になるが、大丈夫かなと思う場面ではなぜか、カットが変わり手元がアップになるカメラワーク。

②マーサは料理の腕より多彩な調理器具で料理を作る。

見ていて、しばしばこれが料理番組なのか、調理器具の通販番組なのか、わからなくなるくらいマーサはいろいろ道具を薦めてくる。「私はこの鍋をとても気に入っているの。これが一つあると便利ね♪」みたいなのを、ちょこちょこはさんでくる。実業家マーサの側面が見え隠れ。

あと道具のスケールの大きさが違う。小麦粉が入っている容器、これがアメリカ標準なのだろうか。泡を消すために、グォーと轟音を響かせるガスバーナー。何気なく使ってたけど、これは一般家庭でアリなのか。便利な道具が次から次へと出てくる。逆に言えば、道具さえあれば、あなたにもできるわよというメッセージか!?

③マーサはあまり手を汚したがらない。

これは料理文化の違いもあるのかもしれないけど、例えば、肉に何か液体をもみこむような時、日本だとよく素手でもみこむのを目にするけど、マーサはトングを使う。材料を粉にまぶすときは、紙袋に粉を入れて、そこに材料を入れシャカシャカ。マーサの手はいつもきれい。汚れても指先まで。

④マーサは料理の作り方より料理にまつわる思い出を語る。

これは斬新だった(笑)どうやったら料理がおいしくできるかより、マーサとその料理の思い出を語る場面が多いこと。天ぷらのところでは、かつて東京の天政という有名なお店に行って、そこが非常においしかったというエピソードが披露される。マーサは天ぷらを揚げながら「そこの天ぷらは、揚げたてをすぐ皿にのせるのに油っぽくなく、すばらしかった」と言う。聞いているこちらとしては、その秘訣を天政で聞いてきて、これから教えてくれるのかと思いきや、「どうやって、やってるのかしらね」と、両手を広げ、肩をすくめるよくあるジェスチャー。この肩透かし。斬新だ。あえて、すべてを教えないのかもしれない(笑)

こうして見ていると、一口に料理番組といっても、いろいろだなと思う。日本の民放の料理番組だと出演者と料理の先生が一緒に「今日もお料理がんばるぞ!オー」みたいな感じで、先生もむりやりポーズをさせられて、先生の引きつった笑顔を見て、気の毒に思うこともある。ただ、番組中に料理のポイントはテロップに出るし、わかりやすい。先生もわかりやすく説明している。

一方でマーサは、一人語りで淡々と、高価な調理器具を使って、優雅に料理を語る。番組中ポイントのテロップも出ることなく、日本の番組を見慣れた者からすると、ちょっと非現実的で不親切に思えたりする。しかし、番組そのものはかっこいいし、マーサを見て、“私もこんなキッチンで、こんなふうに料理したい”と思う人が多くいることだろう。

良い悪いの問題ではなく、教える人、学びたい人、場を提供する人。それぞれが持つ文化というか思想の違いがよく表れている。

いつもより、ちょっとよい茶葉や甘味をいただくのに使わせていただきます。よいインプットのおかげで、よいアウトプットができるはずです!