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素直になるか、煙に巻くか

 もうそのアカウントごとなくなってしまったが、一か月前にここで突然ある方に絡まれたことがあった。それで気になって、そのアカウントを覗いてみると、なにがそうさせるのかその人は一日に50本も100本も投稿をしていて、突然おかしなことを聞いてくるのもどこか納得という感じだった。

 それが、どうか同じ類いの人間と思われたくないというくらい、本音にトゲでも付けたような本当に理解できない過激な批判(というか突っかかり)ばかりで、遠慮したいが、しかしどうしても気になる。言い方は悪いが臭いものはなぜか嗅ぎたくなる。そんなことをする私もおそらく似たような素質を持っているのかもしれない。それでも一見理解しがたい人間の独自の理論や道筋が少しでもわかればと言い訳をして、気が向いたら見ていた。

 それで正直ほとんど得るものはなかったのだが、ひとつだけ「辛いなら辛いと言え」みたいな一行だけの投稿がはっきり気持ちそのまま伝えているようで、それはほんとによかった。思わず「いいね」したくなったが、お近づきにはなりたくないのでやめた。

 もちろん余りの辛さに言えないこともある。しかし辛いことというのは、心が許容できるものがほとんどだと思っていて、悲しむ人のなかには自己の人生のそのドラマチックな展開にどこかニヤついている節があるのではないかと思う。

 その人がどんなつもりで行ったか知らないが、どれも平等にいちいち辛がることはないのではないか。つまり、私がやるべきは照れ隠しに本心を煙に巻くような言い回しでも、ちょっとしたつまずきを大けがに見せる表現でもなくて、思うことをただ素直に書くことであった。それに気づけたいい出会いであった。ありがとうございました。しかし、だから助けてくださいというわけでもないのだ。

 それから、この人についても少し書きたい。批判は相手を見て自身に思うことを投影して言葉が出る。容姿を気にするからこそ相手の顔が気になるし、自分がオシャレか不安だからこそ相手の服が気になるわけである。とするなら、この人は自身の「辛い」気持ちを吐き出したかった節がある。 SNSなんか見てて苦労が見世物にされていると本当に辛い人には言いたいこともあるだろう。そうしてようやくその気持ちをオブラートに包んでようやく出た言葉が「辛いなら辛いと言え」という言葉だったのではないか。それができずに一日に50本も100本も遠回りをしていたわけか。

 直接言いたいことを言ってそれを解決するのもいいが、その遠回りに面白い軌跡が生まれたりする。どっちを取るべきか。ともかく意図してやるものではないと思う。

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