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斎藤幸平の誤謬と「脱成長」の無意味 ー 資本主義とGDPとは論理的に無関係

7/30 放送のサンデーモーニング『風をよむ』で、斎藤幸平が出演して誤った説明をしていた。ヤフーニュースに記事になって上がっているが、GDPへの動機づけが地球温暖化の原因であり、人類の諸悪の根源だという主張だ。

GDPを地球環境破壊の元凶と捉え、GDPという経済指標を悪玉視し、それに対して徹底批判を加えるという言論は、サンデーモーニングが30年間続けて来た行動と習慣であり、古くを思い出せば、JT生命研の中村桂子などがこのエバンジェリズムの筆頭で気を吐いてきた。ご記憶の方も多いだろう。関口宏自身がこの信念の持ち主であり、歴代スタッフも同様で、地球温暖化のみならず、パンデミック等、何か大きな社会矛盾や自然災害を『風をよむ』で取り上げる度に、必ずGDPを槍玉に上げ、GDPを根底から呪詛し否定する世論を視聴者に煽ってきた。ほとんど宗教の説教の如く。経済成長を是とする態度こそ資本主義の病弊であり、悪魔の発想であり、そこから脱却せよと唱え続けて来た。

この言説に対して、それは経済学の理論と常識から間違った認識で、筋違いの俗論であるということを、私は幾度も指摘してきたけれど、全く効果なく、サンデーモーニングと関口宏はこのドグマの刷り込みを番組で続けている。そしてまた、日本中に経済学者は無数にいて、石を投げれば経済学者に当る状態であるにもかかわらず、経済学界から番組に対して公式な批判がなされることがない。そのため、GDP悪玉論が、特に左派リベラルの世界で大手を振って歩き、この国の社会常識のように定着して固定観念化されている。誰も抗議をせず、異論を返さず、正確な議論へと問い質そうとしない。挙句、斎藤幸平のようなアカデミーの売れっ子がこの俗説の正当化に乗り出してきた。劣化も極まれり。話にならない。

GDPは経済学の国民経済計算の概念であり指標である。資本主義とは無関係だ。例えば、一国の教育水準が上がり、途上国で義務教育が普及し、文盲率が減り、高等教育を受けた国民が増えれば、自ずとその国のGDPは増える帰結になる。それが経済の生理だ。それまで10の価値の生産物しか作れなかった人間が、100の価値の生産物を作れるようになる。われわれは、中国の現代史でその社会科学的事実を目撃してきた。もっと具体的に言おう。ここに25歳の平均的な日本の若者が企業で働いている。4年後、彼がTOEICスコア800に達し、ITSSレベル4以上の技能を持ったエキスパートになれば、彼の給料は倍以上になっているだろう。彼の労働生産物の価値は4年前の倍以上の中身となり、そう評価されるのだ。

彼は、4年前と比べて、その日常生活において決してCO2排出量を倍に増やしてはいない。むしろ、郊外からの電車通勤を職住接近の都心のタワマンからの自転車通勤に変え、個人のCO2排出量を減らしているかもしれない。彼のような労働者が、10万人、100万人、1000万人の単位で増えれば、日本のGDPの押し上げに貢献する。教育と知識技術の習得は個人の能力を引き上げ、労働の生産性を上げる。労働の生産性の向上は生産価値量の増大に繋がる。それはマクロ的に連関し合算されてGDPの増大に結果する。個人においては賃金報酬の増収に繋がり、生活と趣味と子育ての豊かさとなり、さらに起業創始のための財務原資となる。経済学のセオリーでは、個人とGDPとはこのような関係図式になる。どこにも悪はない。

個人の方から見たので、今度は社会や国家の方から見よう。橋や道路の古いインフラを作り直す必要がある。不足する病院と医師への手当が要る。社会保障を賄うための財源が要る。国家予算の工面のため税収を増やす、あるいは維持する必要がある。そのためには、社会全体の経済循環と企業活動が安定的に拡大発展し、法人税と所得税が増えて行く社会を作らないといけない。先進国になれば、平均寿命が伸びて否応にも高齢化が進み、それに連れて社会保障費の増大に政府は対応しないといけない。税収が減れば、社会保障は縮減せざるを得ない。税収は基本的にGDPの増減と直結している。だから、一国のGDPの確保と成長に当局(財務省)は関心を持たざるを得ない。日本の社会保障が悲惨なのは、一つには30年間ゼロ成長だからだ。

先進国の基準とか指標とは、産業経済の発展度とか消費水準の高さもあるけれど、やはり、教育の普及とか、医療の整備と質の高さとか、高齢者の福祉の充実度で測られ比較されるものだろう。アジア・アフリカの国々で、それはなお課題であり、先進国に追いつくことは目標だ。そのためには物質的な基礎が必要である。それはすなわち、GDP値で換算され、政策当時者の前に指示され、国家を運営する動機づけとなる命題である。例えば、インドや西アジアでは気温が摂氏50度になる。日本では、気温40度の災害級の猛暑ですので一日中エアコンを使って熱中症から身を護りましょうと政府が指導している。一体、インドや西アジアで、エアコンの保有率は一般家庭でどうなのだろう。日本経済の所与があるから、エアコンを持てるのではないか。

そんな話は斎藤幸平はしない。斎藤幸平にはそうした視線はない。ただひたすらGDPを憎悪し、経済成長の追求は邪悪だとして切り捨てる。グレタと同じナイーブな糾弾を繰り返している。日本だけでなく、欧米先進国だけでなく、世界中の人々が「沸騰化」の酷暑から命を守るため、エアコンを保有常用しないといけないし、稼働に十分な電力を調達しないといけない。その電力総量は年々増えるだろう。CO2の排出量を減らすという課題追求の以前に、生きるために必要な電力の生産が急務だし、安価で性能のいいエアコンを増産し、その冷却効率を上げ、電力消費を削減する技術開発をしないといけない。途上国は、エアコンを一般家庭が購入設置できる富を持たないといけない。考え方として、途上国や新興国はそれが喫緊の方向性であり、論理的必然性だろう。

途上国や新興国は、グテレスやグレタの抽象的な危機論が上級貴族の戯言に聞こえるに違いない。私は、石炭資源を悪魔視せず利用すべきという意見であり、従来からそう提案している。ガスコンバインドサイクルの装置技術を駆使し、競争で改善改良し、石炭の燃料効率を無限に引き上げ、CO2排出量を2分の1、4分の1にすればいいという考え方だ。その方が科学的で人間らしい選択だ。地球上の諸国には、自然エネ・再生エネの発電に不向きな地理的条件の国もある。風が吹かない、海がない、面積が狭い、日射量が少ない国々がある。そういう国々のために、ベースロードのエネルギー資源として、太古の地球で繁栄した巨大シダ植物の堆積がある。人類への恩恵としてありがたく頂戴すればよいではないか。地球に感謝して、ひたすら発電効率を上げ、植物の亡骸を拝領すればいい。

斎藤幸平は、資本主義と経済成長を混同している。彼の誤謬の根本はその点にある。斎藤幸平だけでなく、この誤った言説を唱える左派論客は多くいて、言論を混乱させ、われわれの生き方を錯誤させている。私は以前から、斎藤幸平は経済学(経済原論)を学んでないのではないかという疑念を持ち、ツイッターで発言してきた。エコノミクスのセオリーの常識がない。斎藤幸平の脱GDP教説を何度も聞くうち、その疑念は確信になっている。本当に資本論を読み、マルクスの経済理論を学んでいるのか。怪しいと言わざるを得ない。資本主義と経済成長とは基本的に無関係の問題である。資本主義の欲望が経済成長をもたらすのではない。資本の蓄積と増殖が一国のGDPを増大させるのではない。この当たり前の経済的事実を、日本を例にして以下に証明しよう。二つのグラフの提示で十分である。

二つのグラフを見るだけで、くどくどした説明は不要だろう。事実は一目瞭然である。現代日本は、世界でも最も過激で凄絶な資本主義の栄華を実現してきた。そして同時に、経済成長の面では21世紀世界で例外的な失態を演じ、没落して取り残されてきた。日本の資本主義の回転と運動は、日本の経済成長を実現させてないのである。強欲きわまる日本の資本の蓄積と増殖は、単に個別資本および総資本の保有する剰余価値量を膨張させただけで、国民経済には何の恩恵ももたらさず、GDPの増大に寄与していない。GDPが30年間もゼロ成長で地を這い続けたため、国家予算の規模は増えず、社会保障も公共投資も増やせず、社会を縮ませ、国民の活力と希望を失わせる一方だった。普通は、企業の成長と国民経済の成長とは連動するものだ。日本以外の国々では標準的にそう推移した。

だが、日本の資本主義は例外の軌道をとったのだ。その経済的真実の分析は簡単である。日本経済は、全体として成長してないのに、資本だけが一方的に膨張し肥大している。そういう方向性をとった。自然現象ではなく、人為的に、法制度の改定によって、資本主義の形態と構造を変え、資本だけが著しく肥大し続けるシステムに組み替えた。労働法制(労働基準法等)と資本法制(商法等)を変えた。終身雇用をやめ、年功賃金をやめ、企業間株式持合い制をやめ、自社株保有を解禁し、外資規制を解禁し、社外取締役制を導入し、ひたすら労働賃金を減らし、内部留保を溜め、株式配当を増やすシステムへと邁進した。小泉竹中改革の手前から、四半世紀以上、ピュアな新自由主義の資本主義へと改造し続けたのである。政府が音頭をとり、マスコミが旗を振って、手抜きすることなく精力的に絶倫的に。

斎藤幸平に対して直言しよう。資本主義が地球環境破壊の元凶だという指摘は正しい。だが、GDPの追求や経済成長が地球温暖化の主犯であるという認識と判断は間違っている。それは経済学の見解として正しくない。社会で生産する価値量を増やしながら、同時にCO2を減らすことは可能である。夢の蓄電技術と製品普及、水素発電のコモディティ化は、われわれが理想とする地平だ。現在はそこからはるかに遠く、その開発と市場化は人類の課題である。介護ロボットもそうだ。安全で高品質な牛肉代替加工食品もそうかもしれない。挑戦すべき難題は多くあり、その成功は大きな価値を生む。世界の人口は増え続け、今後アフリカの人々の数が増えて彼らの生活が豊かになる。需要と供給が増える。世界のGDPは必然的に大きくなるのであり、GDPへの憎悪や拒絶などと、子供じみた感情論は何の意味もない。無用だ。

再度繰り返そう。資本主義とGDPは関係ない。日本は脱GDPしながら環境破壊とフードロスを続け、資本主義(新自由主義)の優等生であり続けている。脱GDP論は無意味だ。小泉竹中の誤った方向に旋回せず、従来の日本型資本主義(ケインズ的なマイルドな戦後資本主義)を続けていれば、各国と同様に年平均2%成長を続け、日本のGDPは1000兆円をとっくに超えていた。盤石の経済力と技術力と信頼感を背景に、京都議定書のイニシアティブを世界に導いて、地球環境問題でも指導国となっていただろう。格差貧困を原因とする少子化問題も ー 山田昌弘はそう言っている - これほど絶望的な状況にはならなかった。

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