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矛盾する自分を受け入れ多様な人生を楽しむ

あなたは「矛盾」という言葉についてどう思われますか?
なんとなくネガティブなイメージで使われることが多いと思います。
「言ってることとやってること、矛盾してない?」
「あなた、前はこう言ってたのに、今はそう言うのおかしくない?矛盾してる!」
などなど、似たようなことを言われた経験、あると思います。
でも、矛盾すること自体が悪いことなのかな、と思うんです。

たとえばこれは私の経験ですが、真夏の熱い時期に沖縄でトレッキングしたことがあります。でこぼこ山道を3時間登り続けてくったくたの汗だっくだく。やっとの思いで頂上に着くと、スタッフさんがインスタント沖縄そば(ラーメン)を作ってくれていました。そしたらそれが信じられないくらい美味しい!これはお土産に買って帰らないと!と思い、いくつかカップ麺を買って帰りました。家に帰って家族と食べると、あれ?思ったより美味しくない、あのときの感動がない。なんでわざわざ買ったんだろうと思いました。

これって矛盾してますよね。同じ沖縄そばですが、美味しいと思ったり、美味しくないと思ったり。食べるときの「私の状態が違ったことで」矛盾が生じたのだと思います。
また、山の頂上と家の中という「環境の違い」も影響してそうですよね。置かれている「状態と環境」によって、自分の感じることや考えることは変わってくるのです。こう考えると、矛盾するのは当然かなぁと思います。

学校に行っていた時期を思い出すと、物事には正解がある、絶対的な答えがあると、教わることが多かったように思います。しかし「1+1=2」という簡単な答えでさえ、状況によっては変わることがあります。コップ1杯の水を合わせても、必ずしも2杯になるとは限りません。だから「正解をただ覚える」だけでは事足りません。

正解があれば楽な気持ちになりますし、脳を休めることもできます。「ファスト&スロー」という名著では、迅速な判断(ファスト)と熟考(スロー)の両方の価値が説かれていますが、熟考はエネルギーを要します。体力がないときは思考停止で周りの正解に流れやすい。でもそればかりで物事を判断していると、自分の感じていること考えていることへのセンサーが鈍ってくると思います。

自分なりの答え(納得解)を出すのは、時に辛く苦しいです。でも答えそのものより、そこまで自分で考えたプロセスに大きな価値があると思います。答えが矛盾であっても、へんてこであっても構いません。自分の思いや考えをとにかく表明してみる。それをYononakaでやってほしいと思います。Yononakaでは人を傷つける行為以外であれば、何を言っても構いません。それを受け入れる土壌もあります。ですので、ぜひあなたも参加して、あなたの思い、考えを聞かせていただけますと嬉しいです。

最後に、みなさんに問いを投げかけたいと思いますので、よろしければコメントください。

あなたが矛盾を感じたのはどんなときでしょうか?

以上です!ご拝読ありがとうございました。

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