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実家に帰るという選択肢

鬱で療養しているとなった時に聞かれるのが「実家には帰らないのか」ということです。
結婚もしておらず一人暮らしのため、仕事をしていた時はもちろん療養中も全て自分で家事をする必要があります。
普通の感覚なら、実家に帰った方が楽ですよね。

先に書いておくと死別しているわけでもないし、親子関係を絶縁しているわけではありません。
用事があれば連絡はしているし、働いていた時は時々実家にも帰って顔を見せていました。
父親は69歳、母親は61歳と高齢すぎるわけではなく、2人とも退職して仕事はしていませんが、頼って帰れば助けてくれるとは思います。
父親は18歳の高校卒業とともに九州からこちらに1人で来て、M重工業を定年まで勤めあげました。
母親は18歳で入社したM重工業を1年で辞めて結婚しますが、21歳の若さで出産して子育てしてきました。
私と比べると、なんて強さでしょうか。

そんな両親ではありますが、私は子供のころから心をあまり開いておらず、世間一般の親子関係とは少し遠かったように思います。
子供の時の記憶はあまりないのですが、両親に限らず大人の目に「良い子」に映るようにふるまい、怒られないような態度を意識的にとっていました。
「大人は怖い」と思っていたからです。
両親に対して本音をぶつけることもなかったので、両親にとってもどんな子供なのか分かりにくかったのではないかと思います。

後になってから祖母に聞いたのですが、産まれてすぐに1週間で死にかけて入院し、その後も夜にぐずって寝ない期間が1年近く続いていたそうです。
それで母親が育児ノイローゼとなり虐待があった為、しばらくは祖父母の家で育てられました。
中学生の途中ぐらいまで、毎週土曜日の晩は祖父母の家に行って私だけが泊まっていたのですが、大人になって考えると両親の息抜きの意味もあったのだと思います。
虐待は幼少期なので私の直接の記憶にはありませんが、意識下では認識していたので心を開けなかったのかもしれません。

父親は今でこそ丸くなりましたが、以前は自立心とプライドの高い性格でした。
九州の超大金持ちの家で育ちましたが、実家が嫌で高校卒業と同時に家出をしてきた人で、絶縁していたので父方の祖父母については私は全く知りません。
自分が正しいとの思いも強く、子供のころに間違えを指摘したら「その態度は何だ!」と殴られ、それ以降は人には口答えをしてはいけないと思い、言いたいことがあっても飲み込んでいたのを覚えています。

家で出るご飯は美味しく、クリスマスや誕生日などイベント事はしっかりとお祝いし、必要なものは買い与えてくれていました。
過度な干渉もなく、将来の進路についても何の口出しもなかったので、普通の高校から大学に進学していた未来もあったかもしれません。
それでも私は相談事などは両親にせず、決めた結果だけを伝えていました。
実家にいた時に悩みを打ち明けたことは一度もありません。
どうしても心の深い交流はできなかったのです。

唯一違ったのは阪神大震災の時で、家の中はあらゆる家具が倒れてぐちゃぐちゃでライフラインは全滅でした。
電気だけ晩に辛うじて復旧し、寝る前に3人でスーパーファミコンの人生ゲームで遊び、川の字で寝た時は安心感を覚えました。
ですが非日常から日常に戻るにつれ、元に戻っていってしまったように思います。

今なら私の両親は若くして子供を産み、手のかかる乳幼児を育てるストレスに苦しみ、頼れる先も多くはなかったのだと分かっています。
両親のせいで歪んでしまったなどの恨み節はないですし、両親が生きているうちに心を開き親孝行をしておかないと、後になって後悔もするのでしょう。
私の自立から数年でマンションを買って引っ越ししたので、実家は子供のころとは無関係な新しい家です。
それでもやはり実家に帰ると心が少しチリチリするのです。

ただでさえ弱っている今、実家に帰るよりは一人で孤独に過ごす方がメンタル的には楽です。
こんなことを言うのは親不孝で、社会的には異常かもしれません。
会社の上司や医者に聞かれた時には「生活リズムが乱れているから、気を使って寝起きしたくないので一人が楽」と答えており、事実ではありますが本音とは違います。
普通ではないと認識しているからこそ、普通の人たちには言えない。
どこにも吐き出せる場所がないので、ここで書いてdumpできて良かったなと思います。


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