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知らんイケメン、について。

最近、絵を練習してるんです。

個人的な話になるんですが仕事関係で大事な試験を控えていまして。この1,2か月ひたすらその試験に向けて猛勉強。高校生の時、数学の迷路に迷い込んでから今も抜け出せない私が数字を目の前に勉強してるんだからそれはもう頭パンパンです。

お休みの日は、手芸したり~、推し活したり~、散歩なんかもしちゃったりしてたこの文化系女子が全く文化に触れられない生活を強いられていました。

文化的生活ができないと私は頭がぼんやりします。感動がない。そう、感動がないんです。のどが渇いているようなものです。潤いがなく干からびた、なにか。(いい例えが思いつきません)毎日音楽を聴いたり、韓国ドラマでいちいち感動したり(泣き上戸なんです)できていた日々は本当にかけがえのないものだったんだと改めて感じています。本当にありがとう。おかげさまで、という気持ちでいっぱいです。

やはり私には文化的何かが必要だ!
でも時間がない!どうしたらいいんだ!

そこで絵をかいてみようと思い立ちました。天の声みたいなのが聞こえたんでしょうかね。なんとなく絵だ、と思いました。鉛筆1本と紙さえあればすぐに始められる。私は絵のことは1つも分かりませんが、今文化的サムシングを渇望している私にはこれしかなぁい!と思えたんです。

まずはとりあえず描いてみました。うんうん、いいんじゃないか。初めてにしては結構上手に描けてるぞ、なんて。自分のことはとにかく褒めてあげなくちゃいけません。私と絵の出会いは唐突でしたがそれはもう楽しい時間でした。数字に翻弄され世の中が嫌いになってしまいそうな私を、待ちなされ!世の中は捨てたもんじゃないぞよ!と食い止めてくれる存在。そして調子に乗った私はついにあの方を描こう!と思い立ってしまったんです…。

そう、それは…


OSHI、최애、推し、私の推しです!!!
(推しについてはまた次回…)
そして描いてみました。それはそれは一生懸命に描きました。

誰やねん、でした。
推しではない。
誰だこの人。
親戚の兄ちゃん?いや、学生の時の後輩?
いや違うぞ、誰やねん。

すぐにでもこの画用紙をびりびりに引き裂きたくなりました。
顔を描くとどうしてこうも別人になってしまうのでしょう。やはり自分はいちからきちんと絵を学ばなければいけないと痛感しました。まったくもって推しの美しい妖艶な表情が表現できていないではないか、大馬鹿野郎です。もはやこの別人すぎる顔と見つめ合っている自分が面白すぎて大爆笑。

ただし、ただし、です。彼はイケメンでした。
推しとは程遠い顔なれど、私が描き上げた彼には彼なりの良さがありました。架空のイケメンを作り上げたのです、ワタシ。そう思い直してみると画用紙は破り捨てずに大事にとっておこうと思いました。

絵、って奥深いですね。非常に有名な画家さんが描いた絵も正直どこにどう価値があるのかわからないっていうレベルの人間だったけど、それを理解したいと思いました。はじめのはじめの一歩って感じ。そこにわかりやすい何かが表現されてなくても、たとえよくわかんないで終わられても本来描きたかったものと程遠いものになってしまったとしても表現し続けることって大事なんだなと思います。やはり私には文化的サムシングが必要だ。私が私であるために。こんな歌詞ありましたね。知らんイケメンが私に教えてくれました。

だから私最近、絵を練習してるんです。

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