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「人間っぽくない」と「普通じゃない」

「人間っぽくない」

好きだと思ったら「好き」と言う。

ありのままではいられなくなって、もうここにはいてはいけないと思う人がいれば、遠慮なく「やめた方がいいと思うよ」と言う。



私は昔から、相手を傷つけないように、言葉を曖昧にして直接的な言い回しにせず話すことが多い。

でも、たまに、強く感じることはズバッと言う。

願いからの言葉なのかもしれない。

コーチ仲間のけいちゃんの投稿で
「そうかも…!」と思った

でもそれが、「人間っぽくない」と捉えられることもあるのかな。

ありのまま、そこにいてほしい。


「普通じゃない」

私は問題があったり興味が湧くものは、深く深く、もうそれは深く、考える。

それが「普通じゃない」と言われる所以なのかもしれないと気づいた。

でもそれが私の大きな大きなリソースである。

困難な場面でも解決していける。

考える、思考する、直感を使う、身体に聞く、専門家に聞きに行く、出会に行く、触れる、整理する、つなげる、試す、学ぶ、頼る…

あらゆる角度からあらゆる可能性から今ある問題の解決方法を探す。

解決に向けてこんなにあらゆる手を試して深掘る人はあまりいないなぁと最近気づいた。

突出している。

そりゃあ、普通じゃない笑


でも、「あ、これはここでおしまいなんだ。答え出ました」と分かればサッと手を引く。

思考を重ね、最後は直感と身体感覚を信じる。



私はとても優柔不断で決められない。

けれど、深く深く考えて行動しきって納得して、感情や身体が答えを決めたら、曲げない。

その解が私の突き詰めることのできるゆるがない最善で、みんなが本当の意味で幸せになる方法で、「今は」他に余地はない。

自分の意見があって芯があると言われたり、人の意見を突っぱねると言われることもある。

自己主導段階キレキレな気もしている。

(重要な問題以外はぽやぽやしてるけど)



年末あたりから、自分の答えだけが正解じゃないとも少しづつ思えてきてる。

違う意見や人が、私を大きく成長させてくれてるという実感を得てきた。


まとまりがないけれど、最近の気づきや出してみたかったことを書いてみた。

読んでくださりありがとうございました。


(見出し画像は、一昨日描いた『沸る(たぎる)』という絵)

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