命を救う、人生を救う

癌治療に関する本を色々読んでいる。
その中にこんなふうなことが書いてあった。

自分が一番充実感を感じる時、あるいは達成感を覚えるのは、難しい癌を完治させたときではない。色々手を尽くし可能なことを全てやって、それでも患者が亡くなる時、患者とその家族が心から感謝してくれる時だ。

反対に、完治した時は、心にモヤモヤが残る。
なぜなら、患者はこれからも生きていかなければならない。
むしろ、一度死に直面したのだから、何に為に生きるかという課題に答えて生きていかなければならない。

これは、ある意味死ぬよりも大変なことだ。

確かに、病気の時は(ましてや死ぬかもしれない病気の時は)治ることが最優先事項になる。
しかし、病気で無くなった時、つまり健康体になった時は、それが普通の状態であり、生きる課題は病気や健康以外のことにある。

病気から回復しても、人生の課題を解決したことにはならない。死ななくて良くなっても、人生の課題の解決ではない。

そういう意味では、医者は命を救えても、その人の人生を救えるというものではない。
この辺りのことに、件の医者は気づいたのだろう。

法律家は、社会生活をする上での医者だとか例えられる。実際、多重債務で苦しんでいる人なんかは、本当に死にそうな気持ちになって、訪ねてこられたりする。

法律的には、必ず解決でき、死なないで良いようにできる。
そもそも、法律は借金で死ななければならないようにはできていない。

しかし、医者はある局面で人を死なないようにできことはあるが、人を死なないようにはできない。人は必ず死ぬ(と思う)。

医者がため息をつきたい気になるのが、わかる気がする。






サポートしていただけるなんて、金額の多寡に関係なく、記事発信者冥利に尽きます。