神保町の喫茶店のこと

 もう20年ほど昔になりますが、東京の神保町に「きゃんどる」という喫茶店がありました。新聞で川端康成が通った店として紹介されているのを見て、興味を持って行ったのが最初でした。

 店は古本屋街の奥の、時代から取り残されたような下町にひっそりとありました。そこは、千代田区という東京の真ん中なのに、近所では普通の八百屋が営業しているような不思議な場所で、喫茶店は、いつも奥に座っていてあまり動かないおじいさんと、背筋のピンと伸びた品のいいおばあさんの二人で経営しているようでした。

 店内は山小屋のような雰囲気で、暖炉があり、テーブルや椅子はかなりの年代物だったと思います。店はいつもすいていて、音楽などは流れず、ただ、コツコツと壁にかかった大きな時計の時を刻む音だけが聞こえました。店の中にはそこにしかない特別な空気がただよっていたように思います。

 テーブルに座り、川端康成もここで、いろいろと思索にふけったのかなと考えながら、静かに物思いにふけるのが好きでした。そこは、硬派な大人の喫茶店だったようで、高校生は入店を禁止されていました。制服で来た女子高生が入店を断られ、泣きながら帰るのを見たことがあります。当時高校生だった私も後ろめたさを感じましたが、そこに行くときはいつも私服だったので、知らないふりをして、月に二、三回のペースで通い続けました。

 大学は御茶ノ水にある学校に進学したので、店には以前よりずっと行きやすくなりました。そのうち、おじいさんは亡くなってしまい、おばあさん1人で店をみるようになったようでした。そのころから、私の存在は認識され、注文をしなくても、座ると砂糖・ミルクなしのコーヒーが出てくるようになり、おばあさんから時々、何気ない世間話を話しかけられたりするようになりました。自分の行きつけの店が出来たようで、とても嬉しかったことを覚えています。

 しかし、大学を卒業をすると私は雪国で暮らすことになり、簡単にはそこに行くことは出来なくなってしまいました。何年かたって東京に行ったとき、時間があったのでその喫茶店に行こうと思いました。しかし、周囲は大規模な開発により様変わりしていて、高層マンションとオフィスビルが建設され、町は見違えるような都会に変わっていました。喫茶店のあった場所もすぐにはわかりません。結局迷って探した場所に店はなくなっていました。

 自分の大切な思い出が無くなってしまったようで、とてもさびしかったです。多くの人々の思いがつまった風景を無情に破壊して、ただ変化し続ける東京という町がとても軽薄に思えてしまいました。

 そして、あの品のいい経営者のおばあさんは、どこに行ってしまったのかと、今でも時々考えます。