生物学的、人類学的コミュニティ考察1

アフリカの森の木の上に住んでいた人類の祖先は、安全な木の上を降り、2本足でサバンナに降り立った。危険は承知の上だったが、それでも降り立った。それでも生存競争に勝ち残れると判断した材料がコミュニティ戦略だったのではないかと考える。木の上では、2足歩行と言っても移動手段には手足の両方を使っていたが、サバンナに降り立ったら、手が空いた。そこに道具が持てるようになった。4本足よりも確実にスピードが遅くなったが、高度にコミュニケーションできるようになり、複数人で行動できるようになった。最小単位は家族、もしくは一族。自分だけでなく仲間とともに一族を守り、一族で餌を取り、人間はコミュニケーションすることでコミュニティを形成できるようになり、樹から降りてこられるようになった。火や道具を使うようになり、というのもあるが、言葉を扱うようになり、コミュニティで生活するようになると、コミュニティの中での役割や相手との関係などを図らなくてはいけなくなり、どんどん頭が大きくなる。

 頭が重く大きくなったことで、生物として、完全体になる前に産むしかなくなった。完全体になってからでは、大きすぎて産道を頭が通らなくなったからだ。つまり産道周りの骨の進化よりも高速なスピードで頭蓋骨の進化がおこなわれたはずだ。だから生まれても、自分で「えさ」もとれないどころか、全く動けない状態。そんな外敵から身を守る術が全くない中でも子供を産む戦略をとったのには、それでも子供が守れる環境をコミュニティのなかで作れると判断したからだ。

 同じ類人猿の中で年子(毎年出産)ができるのは、人間だけだ。チンパンジーもゴリラも毎年出産できるわけではない。次の出産まで何年もかかる。授乳期が長く、それだけ母親が子供を掛かりっきりで育てなくてはいけない時期が長い。なのに人間は出産直後から次の子を宿すことができる。自分で何にもできない子供が群れの中に複数人居てもそれでも群れとして考えるとプラスに働いたわけで、それも戦略だった。

 平均寿命を見ると類人猿は、相対的に女性の方が長生きだ。特に人間は女性の寿命の方が長い。それはコミュニティのなかでの役割があるからだと考えられている。母親の子育てを祖母が助けるという役割。母だけが子育てをするのではなく、コミュニティのなかで子供を育てる。中でも祖母の役割が大きい。だから女性の方が長生きなのだ。コミュニティを作るようになった中では、本当は生殖期間が終わった個体は種の保存という意味で言うと餌を与えなくてはならないことを考えると用済みなはずで、早く死んだ方がいい。それでも生きているのは、コミュニティを外敵から守る役目とコミュニティの中で次世代を育てる役割があるから、と考えられる。

 つまりおじいちゃんは戦えなくなったら死ぬし、おばあちゃんは子育てできなくなったら死ぬ。戦うよりも子育ての方が、年老いてもできるから女性の方が平均寿命が長い。こういった群れの中での役割分担が複雑化できたのはコミュニティの発展に伴うものだ。

つづく。

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