見出し画像

途上国ベンチャーで働いてみた:メディアPRの世界(通算120日目)

2019年10月末、バングラ現地のメディアを呼んで新店舗オープンのPRイベントを開くことになった。

なぜ新店舗オープンに至ったのか。それは、市郊外の1店舗目の立地や景観が悪かったためだ。1店舗目のエリアは新興住宅地で、比較的若いがそこそこお金を持っている世帯が住む地域なので悪くなかったのだが、
・建物が非常に古く景観が悪い
・7階フロアのほんの一部を借りていてスペースが狭く、上り下りも面倒
・建物に入った後のルートがわかりづらい

といった難点があり、市中心部の人通りが多い道路沿いにもう少し広い店舗を構えれば中流層の獲得がより見込めるのではないか、という算段だった。

しかし、当然ながら店舗を構えただけでは人は来ない

8月の第2イード(Eid-Ul-Adha)の影響や、事業ライセンスのあれこれ、引っ越し後も工事が長引いたこと等もあり、10月に入ってようやく、大々的にマーケティングをかけましょう!という話になった。

インターンのRくんと私でPRイベントを仕切ることとなり、まずは来てくれるメディア集めからはじまった。
バングラの新聞社やテレビ局は、それぞれその数100を超えるほどさまざまにある。チャンネルをひねればきりがないほど番組があり、ローカルの人でなければどの社にアプローチするのが良いのかさっぱり見当がつかない。日本人が顔を出せば担当者が会うには会ってくれるものの、反応はいまいち。広告費を払えば載せてやるよ、というスタンスの会社がほとんどだ(当然だけれど)。PRにはPRの技術やお作法というものがあるのだろう。

はて、イベント当日にメディアに確実に来てもらうにはどうしたらよいのか、、そんなとき、テレビ局回りを始めていたRくんが、”ミドルマン”なる者のコンタクト先を掴んできた。

"ミドルマン"というのは、各社メディアと強いコネのある人がPR元の人や企業とメディアを繋ぐ、いわば仲介人である。えっ、と思う程手数料を中抜きされるが、この存在なくして無名の企業や団体が各媒体を通じたPRを実現することは難しいらしい。
日本でもPR会社というものが存在するが、その個人版といえなくもない。ただ、ここでいう”ミドルマン”は本当にそれまで培ったコネをベースに「ただ繋ぐだけの人」であって、特別なスキルをもってなにか企画やアドバイスをしてくれるわけではない。

各種メディア紹介をお願いしにミドルマンが所属するテレビ局のオフィスを訪ねると、広めのフロアに撮影機材が置かれ、壁にはスクリーンがかかり複数のメディアが流れていた。ちょっと失礼だが、バングラでもテレビ局はテレビ局らしいのだなあ、と地味に感心した。

「いいでしょう、付き合いのあるメディアに声をかけます。私は顔が広いので大丈夫!プレスリリースを渡してくれたら、私の方でうまく手直しして各社に投げてあげますよ。むろん、イベントに訪れる各社担当者とカメラマンの足代は忘れずに。。。

ちゃっかりあれこれとお金は取られることになったが、ミドルマンは快く協力を引き受けてくれた。
そして、私はさっそくプレスリリースの作成に取りかかった。

プレスリリースを書く上で、悩ましいポイントがあった。
それは、将来行う可能性のある事業についてどの程度プレスリリースに折り込むのか、という点だ。
既存の事業だけではアピールが弱い、PRイベントなのだから盛れるだけ盛らなければ!というのが日本にいる経営陣の方向性だった。
それはそれで、非常に保守的な性格の私には大変勉強になった。
が、現場にいる身としては、会社としてやる気がないと思われる事業、具体的な指針やリソース配分がなされる予定の全くない事業について記載するわけにはいかない。
経営陣にやる気が無くて現場にやる気のある事業、であればまだ良いと思うが、現場にやる気が無くて指針もリソースも降りてこないものを現場が発表する、というのは気持ちとして無理があった。

また、やはりここでも、事業のコアは一体どこにあるのか、どこに置くのか、という問いは私の中で大きく燻り続けた。リリース文を書きながら、現地の人々の慣習として存在しないサービスにどう価値を感じてもらうのか、あるいは、現地の人々の慣習に合わせていった時に数多ある競合からどのように差別化するのか、思いを巡らせたがなかなか答えは出なかった。

ただ、確かなことは、どんなに「日本式」のサービスを謳ったところで、具体性を伴っていなければローカルのより質の良い、または安価なサービスには敵わないものだということだ。現地の人の心は現地の人の方がよく知っているしコネだってある。当たり前のようだが、これはおそらくどの業界でも日本人が海外進出をする際に陥りやすい勘違いのように思うので、改めてまた書きたいと思う。

さて、できあがったプレスリリースは現地のベンガル語に翻訳された。
不思議なことに、現地の人でさえベンガル語の文章を正しい文法で書くことができる人は限られていて(小学生で習って以来ろくに使う機会がないらしい)、私たちのスタッフでさえ三者三様、それぞれにああでもないこうでもないといって修正に修正を重ねながらなんとか仕上がった。

が、なんと。

最後の最後でミドルマンの手によってものすごく短い文章に変えられてしまったのである。
「これくらいじゃないと皆読んでくれないよ?」
そして、各種新聞、テレビ媒体のウェブページには、実際にイベントに足を運んでくれたかどうかにかかわらず一様に同じ文章と写真が掲載された。
日本のPR業界事情は知らないが、なんともやるせない気分になったのである。

画像1

(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?