ビジネス「護身術」

前記事を書いていて、自分は顧問先クライアントから問われたことにただ答えるだけでなく、その際せっかくなので自社の身を守るのに役立つ法的な思考法や知識も合わせて伝えていることを思い出した。これをビジネス「護身術」と呼称するのも、そのときの単なる思いつきに過ぎない。

以前に書いた「中小事業経営者のためのミニマム法律知識シリーズ」に書いてあることも、顧問先の経営者には機会があるたびに伝えている。
改めて読み直してみて、自分のnote記事は「ですます」調と「である」調が混ざってるし、段落下げもあったりなかったりと表記揺れが酷いことに気付いた。いまさら過去記事を統一するのも手間がかかるので、國本のnoteはそんなもんだとご容赦いただきたい。

自社の身を守るのに役立つ法的な知識とは、このシリーズ各回で書いた賃貸借や労務などの基本知識感覚のこと。他方、自社の身を守るのに役立つ法的な思考法とは、このシリーズ初回記事の欄外に付録として書いた証明の感覚のこと。

事業者との顧問契約は、ほぼ必然的に労務上の相談を伴う。弁護士に相談する労務問題と言えば、やはり経営者の側から見て勤務態度や能力に問題のある従業員への処遇に関することが多い。
このとき弁護士は、前記事にも書いたように、まず裁判になった場合の想定から逆算して思考する。裁判になった場合を想定するなら、裁判官の前で事実を証明する手法を検討することは不可欠だ。そして司法の場での証明とは、基本的にテキストつまり文書による証明のことだ。その人の記憶の精度や表現力によって左右される証人や話し言葉で解釈の振り幅が大きい録音などに頼る証明は、あまりにも不安定で「護身術」とは言えない。そんな不安定なものにビジネスの安否を委ねるべきではない。
で労務に話を戻すと、経営者が従業員と揉めたときにその争いが裁判所に持ち込まれたなら、その従業員に問題行動があったことを証明するためにはテキスト=文書が必要だということ。自分はことあるごとにこれを顧問先の経営者に伝える。具体的にどんなテキストが必要なのか、そのテキストはどのように作るのか、それを個別具体的に指南するのが國本の顧問契約という「商品」である。

弁護士になった当初、「先生」と呼ばれることに違和感があった。その違和感はそれから20年経った今でも完全には解消はしていない。が、クライアントが自身では対処しきれない場面で時代劇に出てくる用心棒のように矢面に立つのも弁護士の仕事だと考えると、まああながち悪くもないかなと最近は考えてる。悪徳商人が主人公に踏み込まれたときに「先生!」と呼ぶと、奥から人相の悪い浪人が現れるあの場面のイメージだ(注:実際には、法的のみならず倫理的社会的に問題があると國本が考えた依頼はお断りしています)。
ただ前記事、前々記事から書いているように自分が一番やりたい仕事は、本人ではにっちもさっちも行かなくなってから呼ばれるのではなく、予め日常的にクライアント自身に身を守る術を伝えて、より安心安全かつよりハッピーに事業を進めていただくこと。どうせなら、中小事業を営む人たちがその事業を法的に護身する術を伝えるゆえに「先生」と呼ばれることを受容したい。

さて、前記事の主題は「自分は弁護士として顧客の何を解決するのか?」。今回の記事をそれに当てはめるなら、前記事の最後に書いたのと同じく、経営者がその事業を進めていく上での法的不安を取り除くということになるのだろう。
「自分は弁護士として顧客にどのような価値を提供しているのか?」と改題すれば、それはビジネスをする上で法的に身を守るための「護身術」であり、事業を進めていく上での自信と安心だと言えるのではなかろうか。


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