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おかしなこども


わたしの子供の頃の夢は、画家でした。
もしくはイラストレーターか漫画家。
絵を描くこと、何かを生み出すことがとても好きな子供でした。


小学生の頃、クラスで飼っていた二羽のインコを、休み時間にノートに描いたら、みんなが集まってきて、
口々にうまいと褒められた記憶が淡く残っています。


いつも、妄想ばかりしている子供でした。
授業中は完全に物語を作り出す時間で、授業が始まると、
さて、この時間は何の物語を作ろうかな、と、
ワクワクしているおかしな子供でした。
もちろん、先生の話なんて聞いていませんでした。


子供時代のほとんどを、私は妄想の中で過ごしていたように思います。
学校でも、お風呂でも、寝る前はもちろん、家族との旅行の間も、
いつでも物語を好きに妄想して一人で楽しんでいました。

わたしにとって、その空想の物語以上にワクワクするものは、
日々の中にはありませんでした。
それがどこか現実逃避のようなものだったのか、
純粋な創作のエネルギーだったのかは、
今でもよくわかりません。


わたしは子供の頃の記憶があんまり残っていません。
思い出すのは空想にふけっていたことと、
月刊の少女漫画雑誌(わたしは“なかよし”派でした)を毎月楽しみに買いに行っていたこと。

絵を描いたり、漫画を描いたりしたことは、
なんとなく覚えているのですが、
それ以外の時間を、家でどのように過ごしていたのか、
宿題はしていたのか、
勉強はしていたのか、
家族と何をして過ごしていたのか、
ほとんど覚えていないのです。


昔の記憶なんてこんなものだと思っていましたが、
子供の頃の記憶をとても鮮明に語る友人が居て、

一緒に遊んでいた子のフルネーム、小学校の先生の話、
友達に言われた言葉、友達のお母さんに言われた言葉、
それらをまるで昨日のことのように話すので、驚いてしまいました。

わたしは小学校の担任の先生の名前も、
何年何組だったかさえ、覚えていません。

自分のポンコツさを考えれば、
もしかしたら脳ミソの容量が人よりも少ないのかもしれないと、
思ったりもします。


小学校の中学年頃には、美大に行きたいと思うようになりました。
友達で絵を習っている子が居て、
とてもうらやましく、
わたしは両親に、美大に行きたいこと、絵を習いたいことを話しましたが、
見事に却下されました。

絵を描くことを職業にしたいなどどいう目標設定は、不安定極まりなく、
また我が子が目標を達成出来るという信頼感も
なかったのでしょう。
両親は「普通」であることを良しとしていたので、
普通ではないおかしなこどもを、
『普通』という小さな小さな箱の中に押し込めました。


かくしてわたしは両親に言われるままに、中学受験をして、私立の中高一貫校に進学しました。
そのまま両親の望み通りに、大学に進学しましたが、
目的のわからない大学生活で心を病み、3年で中退しました。
この大学生活が、わたしの中では最も辛かったかもしれません。
不思議なことに、
子供の頃より記憶は近いはずなのに、
ほとんど記憶にありません。
どうやって単位を取ったのか、
まったく覚えていないのです。


そう考えるとわたしは、
辛かった頃の記憶を自在に消せる能力を持っているのかもしれません。
とても都合の良い能力です。



おかしなこども時代のお話でした。
なんだか、
書こうとしたこととまったく違う内容になってしまったな。
そこもまたnoteを書くことの楽しさですね。

お付き合いいただき、ありがとうございました。








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