雨に閉じこめられるー「水の畔り」吉行淳之介(1955年)/村上春樹『若い読者のための短編小説案内』①
よくまじめな読書をしている。
金原ひとみの『マザーズ』が読みたいから、外堀を埋めるように彼女の作品を出版順に読破したし、川上未映子の『夏物語』を読みたくて、同じ登場人物が出るという『乳と卵』を再読した。(読んだらわかるが、これはやめておいた方がいい。) 書評家で近畿大学で教鞭をとる江南亜美子さんに会えるときは先生の著名の入った本を片っ端から読んだ。
何年も放置していた村上春樹の『若い読者のための短編小説案内』に再挑戦すると決めたとき、まじめな私が再燃した。
この本は村上春樹が6人の「第3の新人」の短編を取り上げ、独自の解説をするというもの。
ここに紹介されている6作品をすべて借りてきて、村上春樹の本と同時に読むことにしたのだ。全部読んで、noteに書くのにどれくらいかかるだろう。
一つめは吉行淳之介「水の畔り」。
何日も続く雨と、田舎の病院に入院している肺病の主人公、距離をとって主人公と関係する少女が登場する。雨に閉じこめられる小説だ。
病院からの景色を眺めている主人公の目から、不思議なものが描かれる。たとえば、釣りをしている女の描写、犬の描写ー交尾をしていた、と追加して書かれるー、院長のカラフルな鳥たち。
それになんの意味が?と気になった。
どういう関係か明確に書かれていないが、男には懇意にしている「少女」がいる。「少女の年齢とかなり上の彼」と書かれているので、この女性はかなり若いと思われる。
主人公は入院生活の中、ゆるやかに、とても自然に、気が触れそうになる。そこから逃れるため、少女に東京で会おうと書いた手紙を出す。
会う約束を手紙でする-おぼつかなくて良いなと思った。
主人公の境遇が作者のそれに基づいている。私は作者の人生が、作品に反映されているのを読み取れるのが好きだ。小説と現実の世界が入り混じり、境目がわからなくなればいい。どうしても滲みでてしまう作者のその人らしさを見つけた途端、愛おしくなる。
恥ずかしながら小説は、感覚的に書かれているのだと思ってた。村上春樹が非常に分析的にこの小説を読んでいるのは静かな衝撃だった。だって当該小説には「この展開に意味が?ないよな」「この描写に意味が?ないよな」と思えるものが散見(私には)されているのだ。
もし、小説に書かれるシーンに全部意味があるなら、私にはそんな精巧なものは書けない、と若干絶望してしまった(若干だけ絶望というのが語法として合っているのか気になるが)。
村上春樹は、主人公が床屋の主人に、「病院の近くの糸縒川には昔鮒がたくさんいた」と教わり、心うごかされるシーンに「なぜ彼は鮒のことでそれほど心を和ませるのでしょう?」と言及する。 (私ならスルーするが・・・)
そうなのだろうか?小説家はそんな仄めかしをするの?それとも、つい書いてしまうの?私は小説が書きたい。だから教えてほしい。
切実であればあるほど惹きつけられる。苦しんでる人しか愛せない。
行間と行間の余白は、雨のもたらす清潔さ。
長くつづく雨で遮断された内側に、死と安寧が静かに書かれた小説だった。
3/28『若い読者のための〜』吉行淳之介ページ読。
4/2「水の畔り」読む。
4/16『若い読者の〜』吉行ぺージ再読。
4/16note書く。
4/20 完成
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?