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ジャーナリストって、建築家とか起業家とかパブリックスピーカーみたいになるんじゃないかな

新聞社で記者をやっていて、さらに大学生向けメディアを運営していますと自己紹介すると、「最近の若い人は新聞読んでませんよね‥」とちょっと哀れんだような反応が返ってきます。で、こちらもは「なんとかWebで記事を届けようとしているんですよ」とか「SNSを使ってですね〜」なんて言ってみるんだけど、どうも自分の中でしっくり来ないんですよね。考えてみると、もはやどのように届けるかというレベルの話をしていてもツマラナイからです。僕はもっとそもそも論に戻りたいんです。ジャーナリストという職能って何でしたっけと。

仕事をしながら「社会デザイン」という冠をかぶった大学院に通い始めて2年目。修士論文を書く合間に、ふと思い立って図書館でこの文章を書いています。僕の研究は一言で言えば「新しいジャーナリズムの形を探す」ということなんですけど、これが一筋縄ではいかず。。まあ、研究ってそういうものなんでしょうけど。。思考はぐるぐる回って、もはや旧来の意味でのジャーナリストって不要になるかもなと思ったりしています。ここでの「旧来」は単純化して情報の伝達者ぐらいの意味にしておきます。そうではなくて、コミュニティーを作れる人、公共空間を作る建築家みたいな役割にシフトしていくんだろうなと考えています。

今読んでいる本の中に、こんなくだりがありました。以下、引用です。「コミュニケーションシステムは、最良の状態にあるとき、多くの人にとって都市の一大中心地によく似た場所となりうる(そこははるかに安全で、便利で、静かでもある)。健全な民主主義にとって、オンラインであろうとなかろうとう共有される公共の場はエコーチェンバーよりずっとすばらしい」(『#リパブリック』、キャス・サンスティーン、P21)。これこれ、こんなイメージ。

公共の場をどうやって作るのか、ということだと思うんです、これからのジャーナリストの役割は。書くだけじゃない。事業を構想できないといけないし、コミュニケーションの設計をできないとだめだし、人々(読者の皆さん)の前でちゃんとしゃべって公論みたいなものをライブで作っていけるようにならないと。てなことを、これからちょっとずつ書いていこうと思います。(桜井陽)

あ、この引用記事、「そもそも」を問うているの好きです。

#COMEMO #NIKKEI

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