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【休職】不真面目でいこう!

休職中なので、日々思ったことをnoteに綴っています。

今回は真面目、不真面目について。

真面目なのは基本的にいいこと

まず、真面目なのは、基本的にはいいことだと思います。
真面目な人は信用できるし、誠実で、人に好かれることも多いでしょう。

規則はきちんと守る。人の言うことをちゃんと聞く。
ふざけたり、怠けたりはしない。
何ごとにも一所懸命。責任感もある。
手抜きもしない。人が見てないところでもサボらない。

一見、良いことばかりのようですが、現代社会においては、生きづらさにつながる「もろさ」も持っています。

一方、不真面目な人は

不真面目な人は、やるべきことをやらなかったり、時間にルーズだったり、だらしない、ルールを守らない、など、概ね評判は悪いですよね。

学校なら、授業中に寝ている、おしゃべりする、別のことをしている、そもそも授業に出ない、とか。先生から怒られるタイプの生徒。

社会人なら、仕事で出張や営業で社外に出ているはずなのに、喫茶店やパチンコでサボったり、商用車で昼寝したり。社内でも、トイレでスマホを見てなかなか戻ってこないとか、何度も喫煙で席を外す等々。
※一部、偏見による想像が入っていますが、現実にも存在しているんじゃないかな。

一見、全く良いところはないようですが、現代社会においては、こういう人のほうが、低ストレスで、しぶとく生き抜いていくのかもしれません。

社会を変える不真面目な人

また、不真面目な人は、人の言うことやルールなどに、素直に従わなかったり、反発したりする傾向があります。

これが良い方向に向かえば、「ムダなことはやらない」とか「これってルールのほうがおかしいんじゃね?」と気付き、結果的に改善や効率化に貢献したりします。

人類の発展の歴史は、基本的に「サボりたい」欲求、つまり、より楽チンに、より便利にという追求から進化しています。

単なる怠惰な人に留まらず、不真面目な人の中から、社会にとてつもなく大きな貢献をする人が出現するのかもしれません。

自分の頭で考えているか

思考停止、という言葉があります。
真面目な人は、既存のルールを守ることや、上が言うことを素直に聞くことが正義と思っているので、ある意味では自分の頭で考えることを放棄していると言えるのかも。

そして、地味で無意味な作業でもコツコツと丁寧に仕上げ、次の指示を待つという「使いやすい社員」になっていきます。
昔であれば、あるいはアルバイトなら、「使いやすい人」も必要とされていたのでしょうが、現代では不要になってきています。

不真面目な人は、既存のルールや上司が言うことが、「それって本当に必要?もっといいやり方があるのでは」というように、自分の頭で考えて行動していると言えるし、変化を恐れません。

社会の変化が激しい現代では、これまで正しいとされていたことが、どんどん変化します。
自分の意思を尊重して、やりたいようにやる人のほうが強いのです。

プロセスより結果が評価される社会

学校では、結果よりもプロセス、つまり努力や頑張りといった行為のほうが、結果よりも評価される場面があります。

勉強やスポーツ等で、全力を出して必死で頑張ったとしても、試合で負けたり、第一志望に届かなかったり、ということは多々ありますよね。
そういうときでも、その努力・過程に対して、褒めてくれたり、認めてくれる人が存在します。

しかし、社会に出ると、必ずしもそうではありません。
結果を出さなければ、いくらプロセスをアピールしても評価されません。

必死でやった、とか、夜も寝ないで頑張った、とか、いくら言っても、結果が伴わなければ言うだけムダです。

テキトーにやったとしても、ちゃんと結果を出した人が評価されます。
これは、単に社内で上司から評価される、というだけではなく、「世の中の市場から評価される」ということです。

例えば、転職の際でも「真面目で努力家です」というより、「私はこういう成果を挙げました」というほうが、アピール度が高いのは明らかです。

コツコツやるような仕事というのは、今ではほとんど自動化されたり、AIが取って代わったりして、出番がなくなっているのです。

不真面目でいこう!

真面目はダメで、不真面目なほうがいい、という0か100かの極論を言っているわけではありませんよ。
人を不快にさせたり、ルールを守らない、などの不真面目は基本ダメです。

ただ、真面目な性質が、現代では生きづらさになっているのであれば、もう少し肩の力を抜いて不真面目になってもいいかもね、という提案です。

不真面目に見えるのに活躍している人を見て、「あの人はズルい」という感情がわくようなら要注意。
自分にないものを持っている人を嫉妬する感情は、そのままストレスとなり、ドロドロ・モヤモヤな感情として残ります。
自分ばかり損してる、不幸だ、誰も認めてくれない、というような思考から、心を病むことがあるのかもしれません。


根が真面目な人は、「じゃあ、がんばって不真面目にならねば」とか思うのかも知れません。どこまでも真面目。
不真面目になる方法、を考えてもちょっと難しいでしょう。
わざとルールを少し破ってみたり、やるべきことをサボったりしても、罪悪感だけが残るので、何か違う気がします。

どうすればいいかの答えは持ち合わせていないのですが、
・自分の欲望に忠実になること
・好きなことを優先すること
あたりをやってみればいいのではと思います。

少なくとも、真面目な人生より、多少不真面目な人生のほうが楽しそうに見えます。
他人の視線や意見は、とりあえず無視しましょう。

楽しい人生は、最強です。

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