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古代オリエント

メソポタミア

ティグリス川ユーフラテス川の間にある地域。砂漠や山脈がないため開放的

諸民族の動き

シュメール人(民族系統不明、前3000年ごろ)
 ◎都市国家の建設→ウル、ウルク、ラガシュなど
 ◎神権政治→王は神orその代理人として権力を振るった

アッカド人(セム語系)
 メソポタミア最初の統一国家を樹立した。しかし、軍事力に依存した統治だったため、長く続かなかった。
サルゴン1世
→はじめてメソポタミアを統一してアッカド王国を建てた王。「戦いの王」と言われた。

サルゴン1世頭部像

アムル人(セム語系)
 ◎バビロン第一王朝(古バビロニア王国、前19~前16世紀ごろ)
  →都をバビロンに置く
 ◎ハンムラビ(位 前18世紀ごろ)
  →全メソポタミアを統一、ハンムラビ法典の制定
 ◎ハンムラビ法典
  →秩序の形成が目的
  ●復讐法…「目には目を、歯には歯を」過度な復讐・争いの抑制
  ●身分法…身分に応じて刑罰に差があった

ハンムラビ法典

周辺民族の侵入

ヒッタイト人(インド=ヨーロッパ語系)
 →小アジア(アナトリア)に建国
  バビロン第一王朝を征服
  史上初めて鉄製武器・馬と戦車を使用

◎バビロン第一王朝滅亡後
 ●ミタンニ王国(民族系統不明)
  →メソポタミア北部からシリアにかけて支配
 ●カッシート人(民族系統不明)
  →メソポタミア南部を支配

エジプト

初期王朝(前3000年ごろ)

◎「エジプトはナイルの賜物」byヘロドトス
 →定期的に氾濫するナイル川によってエジプトの土壌は肥沃になった
ノモス(集住)がナイル川流域に成立

◎エジプト統一、王号ファラオ(太陽神ラーの子)

古王国(前27~前22世紀)

都:メンフィス
ピラミッドの建設(ギザ)
 →クフ王、カフラー王、メンカウラー王のものが三大ピラミッド
  農業がおこなえない時期の公共事業
  国民に食料の支給

中王国(前21~前18世紀)

都:テーベ
ヒクソス
→馬と戦車を使用した民族。中王国時代末期にシリア方面から侵入。
 一時期エジプトを支配

新王国(前16~前11世紀)

都:テーベ
→ヒクソスを追い出して成立。
アメンホテプ4世(位前14世紀ごろ)
当時はアモン=ラー信仰が盛ん、アモン神は都テーベの守護神
アモン神の声を聴く神官が政治に口出しをしてきた

●唯一神アトン(太陽神)の信仰を強制
●アトンのための都:テル=エル=アマルナへ遷都
●アメンホテプ4世はイクナートンに改名(アトンに愛されるの意)
この一連の宗教改革をアマルナ革命という

アメンホテプ4世

メソポタミアとエジプトの文化

宗教

①メソポタミアの宗教
ジッグラト(聖塔)を各地に建設
 →シュメール人が各地に建立
  多神教の証拠

②エジプトの宗教
死者の書
→オシリス(死と復活の神)の審判に備えて副葬する。死者の魂を再び人間に戻すかを決定するオシリスがこの書を見て判断する。ここには死者の生前の行いが記されている。

◎多神教である

◎ミイラの制作
→魂が戻ってきたときのために肉体を残しておく。
スフィンクス
→王のミイラを守るために制作。

文字の使用

①メソポタミアの文字
楔形文字
→シュメール人が作成
 粘土板の使用
 べヒストゥン碑文
 →ヘンリー・ローリンソン(英)が解読

べヒストゥン碑文

②エジプトの文字
神聖文字(ヒエログリフ)
→神殿・墓などに刻まれた
◎民用文字(デモティック)
→ヒエログリフを簡略化、パピルスに書かれた。

ロゼッタストーン
→神聖文字、民用文字、ギリシア文字で同じ内容が書かれている。ジャン=フランソワ・シャンポリオン(仏)が解読。(1822)

ロゼッタストーン


技術・文化

①メソポタミアの技術
六十進法…角度や時間の単位に
太陰暦…月の満ち欠けを基準とする暦。1年350日くらい。
1週7日制…バビロニアで確立。

②エジプトの技術
十進法…主に長さの単位に
太陽暦…1年を365日とするもの。
アマルナ美術…自由で写実的な美術。アマルナ革命により生まれたため、決まった形式がなかった。

王妃ネフェルティティ胸像

地中海東岸の民族

地中海東岸地域の生活

→大きな川がなく農業に向かないため海に出て交易を行っていた。ヒッタイトやエジプト新王国がここを狙う。

海の民
→この地域に侵入(前13世紀ごろ)。ヒッタイトは滅亡、エジプトは弱体化し、これら大国が撤退したことで権力の空白化が起きた。

商業・遊牧生活

アラム人
→内陸貿易で繁栄、拠点をダマスクス(前10世紀ごろに建設)に置く。
アラム語
→西アジア(オリエント)の国際商業語になる。多くの場所で貿易していた証左になる。
アラム文字
→西アジア(オリエント)各地に普及し、様々な文字の母体となる。

アラム文字の派生

フェニキア人
→海上貿易で繁栄、レバノン杉がメインの輸出品。拠点をシドンやティルスに置く。
フェニキア文字
→ギリシア世界に伝播、ギリシア文字の母体となり後にアルファベットになった。

レバノン杉が描かれているレバノンの国旗

ユダヤ教

ヘブライ人(自称イスラエル人)
●パレスチナへ定住、一部エジプトへ連行

モーセの『出エジプト』(前1300ごろ)
 →逃げる途中唯一神ヤハウェから十戒を授かる。

ヘブライ王国を建設 atパレスチナ
 →ダヴィデ王(位前10世紀前半)
  →パレスチナを統一、都をイェルサレムに置く。
 →ソロモン王(位前10世紀後半)
  →ヤハウェの神殿を建設

●ソロモン王の死後、ヘブライ王国は分裂

①北部 イスラエル王国(前922~前702)
→アッシリア王国により滅亡

②南部 ユダ王国(前922~前586)
●新バビロニア王国により滅亡

バビロン捕囚(前6世紀ごろ)

●アケメネス朝により解放

ユダヤ教の成立(前6世紀ごろ)
→ヘブライ人をユダヤ人と呼ぶようになった。

◎経典…『旧約聖書
終末思想
→いつかこの世の終わりがきて、そのタイミングでメシア(救世主)が現れる。
選民思想
→自分たちしか救われない。民族的な優越、排他的思想。

オリエント世界の統一

アッシリアのオリエント統一

アッシュル=バニパル(位前7世紀ごろ)
 都:ニネヴェ
 →大図書館を造営
属州の設置
 →征服地・植民地に設けた州のこと。総督を派遣して統治。強制移住や重税など過酷な支配を布いた。

→反乱によりアッシリア崩壊(前612)

アッシュルバニパルの獅子狩り

4王国の時代

メディア(前8世紀~前550)
 →イラン高原に建国。
リディア(前7世紀~前546)
 →小アジアに建国。
新バビロニア(カルデア)(前625~前538)
 →メソポタミア~シリア地方に建国
エジプト(前664~前525)

『世界史の窓』より

オリエント世界の"再"統一

アケメネス朝ペルシア(前550~前330)
 →イラン人(ペルシア人)が建国。都:スサ(イラン西南部)

アケメネス朝ペルシアの領土

キュロス2世(位前559~前530)
 →メディア、リディア、新バビロニアを征服
カンビュセス2世(位前529ごろ~前522)
 →エジプトを征服(前525)

ダレイオス1世(位前522~前486)
 →この王の時全盛期を迎える
◎新都:ペルセポリスを建設。祭事中心の都市であった。
◎知事(サトラップ)を派遣
 →王が直接任命し、徴税・治安維持にあたった。
◎「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官が不定期にサトラップの仕事をチェックする。
◎駅伝制…「王の道」(スサ~サルデス)
 →1日行程ごとに宿や駅が置かれる。広大な領土をインフラで接続。
◎被征服民族への寛容な統治
 →アッシリアの過酷な支配を反面教師にし、宗教なども容認した。

ゾロアスター教(拝火教)
 →保護を受けた宗教。
 ●経典:『アヴェスター
 ●善悪二元論
→世界を善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの対立ととらえ、数千年の期間でこの二つの神が戦い争っている状態にあるとした。
 ●最後の審判(終末思想)
→善悪両者の優越は3000年ごとに交替し、9000年または1万2000年目の戦闘に善神アフラ=マズダは、悪の神アーリマンに勝利した。世界は大火災による終末を迎えるが、しかし善き人々の霊魂は最後の審判をへて救済されるとした。

古代イラン

→中心はイラン高原(メソポタミアの東)。中国からメソポタミアを繋ぐ中間地点にあるため、一大貿易拠点として繁栄した。

パルティアとササン朝ペルシア

①パルティア(前3世紀~3世紀)
→アレクサンドロス大王の遠征でアケメネス朝ペルシアが滅んだところにできた

アルサケス(イラン系遊牧民)が建国
 →中国名を「安息」という。
 都:クテシフォン(ティグリス川中流東岸)
交易しやすいため、周囲の大国から狙われた。その中でローマ帝国との抗争があり、混乱している間にササン朝ペルシアにより滅亡(224)。外国人商人が多すぎて国家としての結びつきが弱かったのが一因。

ササン朝ペルシア(3世紀~7世紀)
→領土はパルティアとほぼ同じ
アルダシール1世(位221~241)が建国
 →ゾロアスター教を国教化、仲間意識を強めた。
シャープール1世(位241~272)
 →クシャーナ朝(インド)を破る(242)
  ローマの軍人皇帝ウァレニアヌスを捕縛

ホスロー1世(位531~579)
 →全盛期を迎える
 ●突厥と同盟を組んでエフタルを滅ぼす。
→ササン朝は5世紀後半から、中央アジア方面からのエフタルの侵入に苦しめられ、西方ではビザンツ帝国との抗争が続いていた。
 ●ビザンツ皇帝ユスティニアヌス大帝と抗争
  →アンティオキア占領(540)

ニハーヴァンドの戦い(642)
→イスラーム勢力に敗北し滅亡(651)

ササン朝ペルシアの文化

マニ教の成立(3世紀前半)
 →創始者:マニ
 ●ゾロアスター教にキリスト教仏教を融合
 ●徹底した善悪二元論・禁欲主義
 ●偶像の否定
 当時ササン朝では、ゾロアスター教から分かれたマニ教の影響を受けたマズダク教が流行し、その教義である私有財産の廃止や富の分配などの影響で租税徴収が滞るなど、社会が混乱していた。ホスロー1世は社会の混乱を収束させるためにマズダグ教を厳しく弾圧し、マニ教も同様に迫害された。

国を追われたため世界に広がる。

◎ササン朝美術
●鉄器、ガラス器、織物など
●中国、日本にも伝来
ex.獅子狩文錦(法隆寺)、漆胡瓶(正倉院)

獅子狩文錦
漆胡瓶
ササン朝美術の瓶

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