ゲストハウスなんくる荘15 トラウマ

あらすじ:那覇にあるゲストハウス・なんくる荘にやってきた未夏子。気ままに生きる彼女は、次第になんくる荘の長期滞在者たちと打ち解けていく。ある日、地元にいる弟からLINEが届き、初恋の人の近況を知る。

前回まではこちらから読めます。


まどかちゃんがキレた。

その日の夜はヒロキ君の週に一度の休みだったので、リビングでまどかちゃんと三人、酒を飲んでいた。

発端はヒロキ君が酔って口にした言葉だった。

「ここにおる人たちって、みんな何かしらのトラウマみたいのあるから、こういう生活してるんやろ。ジンさんは親いないし、アキバさんは離婚したし、まどかちゃんは女友達いないし。オレはそういうのないからこんなうすっぺらいんかな。オレ、みんなが羨ましいわ」

ヒロキ君にしてはめずらしい酔い方だった。いつもは缶ビールをちびちびと飲んで気がついたら眠ってしまっているのに、その日は飲み始めて一時間でもう泡盛のストレートをコップに二杯は飲んでいた。

「あたしだってそういうのないよ?」

あたしが言い終える前に、まどかちゃんが立ち上がってテーブルの上の灰皿を手に取り、ヒロキ君の頭の上でひっくり返した。

……!

みんな、唖然とする。灰と吸殻まみれになったヒロキ君は涙を流してむせた。

「心的外傷。トラウマって、心的外傷っていうんだよ」

まどかちゃんの視線は、まっすぐにヒロキ君の目を刺していた。その視線が痛そうで、あたしは思わず目を逸らした。何かの映画で見た、眼球を鋭利な刃物で刺されるシーンを思い出す。

「心の傷だよ。そんなもん、ないならないに越したことないでしょ」

ヒロキ君は、まどかちゃんから視線を逸らさなかった。彼女に救いを求めているように見える。

「あとさぁ、和田まどかって人間は、女友達いないって要素だけでできてるわけじゃないから。安易な決めつけしないで」

自然は善で文明は悪、田舎の人はあたたかくて都会の人は冷たい、インスタント食品より手料理のほうが美味しい。

安易な決めつけの例を思い浮かべていると、

「それに、今は女友達いるもん」

と、まどかちゃんがあたしのほうを見た。照れくさいけど、頷く。

「まどかちゃんの苗字って和田っていうんだ」

我関せず、という顔で和室でマンガを読んでいたアキバさんが呟いた。

翌朝、リビングで起きぬけの一服を吸っていると、モンちゃんが帰ってきた。

「おはよ。遅かったね」

いつもなら朝の六時には帰ってくるのに、もう九時だ。

モンちゃんの匂いを嗅ぎつけたのか、クーラー部屋からネコンチュが出てきた。モンちゃんは「ネコンチュ~」と言いながら床に寝転がり、同じく寝転がったネコンチュのお腹に顔をうずめた。

「バイト仲間が送別会してくれて。ファミレスで」

ネコンチュのお腹に顔をうずめたまま言ったので、声がくぐもっている。

「送別会してくれて?」
「オレ、昨日でバイト最後やったの。オレもうここ出っから」
「え!?」

知らなかった。

「だって旅は終わりがあっけん旅でしょ。いつまでんここにいるわけにいかんし」
「みんなもう知ってるの?」
「どうやろうね。マナブさんにはチェックアウトの日言ってある」
「いつ?」
「明日」
「嘘」

嘘じゃないことはわかっていた。

あたし自身、今までさんざんしてきたことだ。今まで何度も、こういうふうに突然ゲストハウスを後にしてきた。どんなに長く滞在したところでも。

「じゃあ今日、送別会しなきゃね」
「わーい。ありがと」

煙草の火を消し、立ち上がる。そろそろ顔を洗って着替えてバイトに行かなくては。今日から夏休み限定クラスが始まるので週六日の勤務になる。

「ねぇ、モンちゃん」
「んー?」
「ゴールするのってさ、怖くない?」

モンちゃんはごろりと仰向けになる。

「怖いね」
「ね。ゴールがないのも怖いけどね」
「そうそう」

もっと、モンちゃんと話をしてみたかったな。

階段を上りながら、そう思った。




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