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認めるコミュニケーションとはなんぞ 〜 とあるNotion公式アンバサダーの1on1雑記

Notion公式アンバサダーの熊倉です。
社会教育士/メディアカウンセラーの岡野さんと1on1をやらせて頂いた中で考えさせられた事があり気づいたら長くなってしまったので、noteにしてみました。

岡野さんの人生で歩いてきた過程が描かれている斬新なZoomの背景が設定されており、深掘りが捗りすぎる新しい体験・・・色んな事やりすぎて自己紹介が大変という共感ポイントもw

原体験、社会経験、紆余曲折を聞かせて頂き、だから今そんな活動をされているのか、、と人生の流れが感じられとても応援したい気持ちに。

また、教育の現場における子供とのコミュニケーションの取り方で、褒める叱るではなく「認める」コミュニケーションとは何か?といったお話まで聞けて僕も勉強になりました。

「認める」コミュニケーションを僕なりに解釈してみると


岡野さんが伝えてくれた事でいうと例えば、子供が片付けをする。って時に、5分で出来たね。とか、1分で出来たね。とか、行いに対して声がけをして、それにこちら側は良い悪いの評価を挟まない。

事実を声がけして、あなたはどうしたい?とか、何があったの?って、こちら側の意図的なコントロールを手放して、フィードバックを通して気づきを引き出すコミュニケーションをするイメージ。


評価付きのコミュニケーションは例えば、「なんでダラダラ片付けてるの!早く片付けなさい!」といった、うちでも日常茶飯事に起こるような風景ですが、「私の言うことを聞け」っていう意図も同時に聞こえてきます。(裏側の意図は思考「楽したいから期待通り動いて欲しい」心「私を見てよ/尊重してよ」だったりもする


そうではなくて、いつも1分だけど、5分かかった。いつも5分だけど、1分で出来た。その違いの肌感覚・背景を聞いてみる。

実は何か嫌なことがあって集中出来なかった。とか、
いつも以上に集中出来て早く出来てスッキリしたから、もっと早く出来るようになりたい。だとか、
人それぞれ持つ事情や内的感覚にアクセスしていく感じ。


「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学では、褒める・叱るそれ自体が良くないとされていたりしますが、これは評価者(子供にとっては多くの場合、親・教育者)の期待や意図が入り込んで来るため、繰り返されると知らず知らずのうちに他者評価軸が埋め込まれることにより、結果的に他者比較・競争原理といった呪いを埋め込んじゃう感じがします。

叱ってはいけない、ほめてもいけない。

嫌われる勇気 P. 196


それは結果的に、生きていくために生まれたペルソナを演じていたらいつのまにか演じてる事すら忘れて、そこに居続けると内側にあったはずの「私」が置いてけぼりになって年月が立てば立つほど苦しくなってしまったりすることに繋がるのではないでしょうか。


そうじゃなくて、認めるコミュニケーションによって内発的動機を引き出して、「あなた」はどう感じて、どうしていきたいのか?にフォーカスする。

その答えに良いも悪いもない。


押し付けられた答えじゃなくて、自主的な答えを考えるキッカケを作り出して行く過程において、コミュニケーションの在り方が大事なんだなぁと改めて気付かされました。


ペルソナのあなたじゃなくて、本来のあなたはなんて言ってる?っていう声がけっすよね。


子育てしてると特に無意識に評価やコントロールしようとしちゃう時あるので、気をつけよ。。(ていうか対人関係全般でも)

まさしく、「分かる」のと「出来る」との隔たりが大きいとこですからねこれ。。
そいで「当たり前」の基準まで持っていきたいやつだなーと感じました。


ちゃんと読んでないですけどNVC(Nonviolent Communication)とかのエッセンスとかも入ってるのかもです。ちゃんと学ぼうかな。。

ちょっと書きすぎちゃいましたが、改めて考えるきっかけになりました。
岡野さん有難うございました!

とても素敵な活動をされておりますので、是非フォローして見てください!

https://twitter.com/mcokachin

( Notionにおいては解決されたいことが一つ解決出来て良かったです!

過去の雑記はこちら

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