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心理的安全性には”守りと攻め”がある

『心理的安全性』という言葉を最近いたる所で耳にするようになった。ただこの言葉、誤解されていることも多いように感じる。この記事では、組織の心理的安全性とは何かを改めて考えるとともに、”守り”と”攻め”の一面があることをお話ししたい。

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最近、人事や組織開発の界隈で、『心理的安全性』という言葉をよく耳にするようになった。自分自身が人事関係の仕事をしているから、ということもあるかもしれないが、Googleトレンド*で調べてみても、ジワジワ検索数が上がってきているのが見てとれる。

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*Googleトレンドとは、特定のキーワードが指定した地域・期間にどれくらい検索されているかを知ることができるWEBツールである。上のグラフは、過去5年間の日本における『心理的安全性』というキーワードの検索数の推移を表す。5年前には全く検索されることのなかったキーワードだが、最近は増加傾向にあるのが見てとれる。

心理的安全な組織とは?

心理的安全性とは、会社の部署はじめ、様々なチーム、組織の状態を表す言葉だ。この言葉、「初めて聞きました」という方にはどのように感じられるだろうか?

あなたも「初めて聞きました」という一人であれば、この先を読み進める前に、会社のチーム、部署が『心理的安全』ってどんな状態か?この言葉から、少し想像を膨らませてみてほしい。

・・・いかがだろうか?「心理的」と「安全」という2つの単語からなるこの言葉から、どんな組織の状態を想像されただろうか?

”守り”の心理的安全性

チームが心理的に安全な状態ということは、自分が心理的・精神的に安定した状態でいられるチームのことだと思われる方が大半ではないだろうか。それをもっと平たい言葉に置き換えてみると、怒り、不安、恐れみたいな感情がない状態と捉えることができるだろう。

さらに、具体的にどんな状況かを考えてみたら、例えば、上司に怒られる心配がないとか、先輩からいじめられることがないとか、後輩からバカにされることがないとか、パワハラ・セクハラみたいなハラスメントがないとか、そういったことが思いつくだろう。

心理的安全性という言葉に初めて出会った人は、実際このように捉えられることが多いようである。何か統計的なデータを取ったわけではないが、いろんなところで心理的安全性について話をすると、そのような捉え方をされる方が多いことに気づいた。

この捉え方、間違ってはいない。怒られたくない、不安は取り除きたい、イライラしたくない、ハラスメントなんてもってのほか・・・そんな想いは誰もが持っているし、そうならないに越したことはない。ただ、これだけの解釈では、心理的安全性という概念の”守り”の一面しか捉えられていないように思う。

そう。”守り”の一面があるということは、”攻め”の一面もあるのだ。

”攻め”の心理的安全性

”安全性”という響きから、攻めてる感覚を持ちづらいのでは?と思うのだが、本来の心理的安全性の意味は、実はこの”攻め”の一面の方が大切な要素になるのではないかと思う。

心理的安全性は英語でPsychological Safety(サイコロジカルセーフティ)と言うが、1999年にハーバード・ビジネススクールのエドモンドソン教授が提唱した組織開発に関わる考え方のひとつである**。

**Amy Edmondson, Administrative Science Quarterly, 44, "Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams" 350-383, (1999).

つまり、何かしらの成果を上げるために組織されたチーム(一般的な企業は基本的に全てこれに相当する)が、良い成果を出すためにはどうすればいいか?ということを考えるときに重要な指標の一つになるということである。

もともと組織開発に関する研究から派生した考え方だと知ると、なるほど”攻め”の一面もありそうだと思ってもらえるだろうか?要するに、チームで良い成果を出すためには、心理的・精神的に安定な状態でいながら、チームメンバーが目標に向かっていけることが重要だということである。

ここで”攻め”と表現したのは、組織の目標に向かって活動するときに、受け身ではなく、むしろ能動的に心理的安全な状態をつくって、その中で活動をするという意味でこの言葉を使った。

心理的安全な環境は、誰かが用意してくれるものではなく、自分たちで積極的につくりあげていくものなのだ。

つまり、ある企業が自分たちの活動を通じて理想を実現しようとするわけだが、そのとき、組織の理想や目標に対してメンバーが合意し、同じ方向を向いて活動している必要がある。昨今、「ビジョンの共有が大事」などと言われるのはこのことだ。

このとき、理想や目標を達成する手段はいろいろ考えられるわけだが、どのような方法で、どんなアイデアをもって達成を試みるかは、メンバーの個性によって異なってくるところだと思う。

ここが大事なところで、この”メンバーの個性”、つまりお互いの価値観をきちんと理解し合って活動できているかが、チームとして成果を上げるためのポイントになると思う。積極的にお互いが自己開示して、チーム目標に対するお互いの価値観を共有することが大事なのだ。

そうでなければ、せっかくそのチームにいる個人の良さが引き出されず、成果にも繋がらない残念な結果になってしまう。

例え話

とは言っても、こんな話、ピンとこないかもしれないので、例え話をしようと思う。課題に対して真正面から取り組む人もいれば、一見無駄なことをしてそうに見えても、実はチームの目標に確実に貢献している人もいる、という話だ。

文房具メーカーであるnote社***の営業・宣伝部門に真面目タイプのAさんと、明るい奔放キャラのBさんがいたとしよう。

***この例え話に登場するnote社、Aさん、Bさんは架空の設定です。

自社の新製品の発売を控えて準備に忙しい時期、Aさんは定時後も販促イベントの準備や広告の準備で忙しく働いている。でも同じ部署のBさんは、そんな時期でも毎日ひとり定時上がりで、毎晩のように友達に会ったり、自己啓発イベントなんかに出かけて行ったりする。

Aさんは、BさんのSNSでの日々の発信を見て、「この忙しい時期に、何で手伝ってくれないのだろう・・・」と不満を募らせている。そんな不満を抱えながらも直接は言えずに一緒に仕事をしていると、いろいろと頼みづらいとか、一緒に作業したくないとか、そういうことにつながってしまう。

「なんでBさんって、いつもこうなんだろう。」

そういう人間関係のいざこざとまでは言わないものの、ちょっと相手が理解できないな、というシーンはいたるところにあるだろう。

この例え話では、一見Bさんは仕事には力が入っておらず、自分のプライベートを優先しているように見えるかもしれないが、実は行く先々で新製品の宣伝をしたり、販促イベントを口コミで広げようとしていたとしたら・・・

価値観を共有する場が必要

AさんだってBさんだって、自社の製品を華々しく世に送り出したいし、多くの人に手に取ってもらいたいという想いは同じだとしたら、あとはどういう手段でそれを実現するかという話になる。

AさんとBさんがそれぞれ、

A「私は販促イベントを滞りなく進行するために力を注ぎたい。それが多くの人に新製品を知ってもらう方法だと思うから。」

B「僕はこんなキャラだから、会社でじっと書類を作ったりスケジュール管理することには向いてない。でも新製品には思い入れがある。一人でも多くの人に出会って、新製品のことを知らせたい!」

そんなお互いの価値観が、もっと早い段階でしっかりと共有できていたとしたら・・・

忙しい日々の業務に追われていると、なかなかそういうお互いの価値観に触れるような話をゆっくりする機会はないのかもしれない。今はどこの会社も人手不足でみんながそんな余裕を失っているようにも見える。

でも、そんなときだからこそ、お互いの価値観を共有して、その価値観を尊重し合うように行動できたら。きっと、今よりもっといい企業活動になるだろうし、お互いに気持ちよく楽しく仕事ができると思う。そうすれば、きっと自然と業績も上がるのではないかと思う。

つまるところ、僕はお互いの価値観を共有できる『心理的安全性の高い組織』が世の中にもっと必要だと思う。特に、安心感や安定といった言葉に置き換えられる”守り”の心理的安全ではなく(それも大前提として大事だが)、積極的にお互いの価値観を共有し合う”攻め”の心理的安全を望んでいる。

僕にできることは小さなことかもしれないけれど、そんな組織が世の中にあふれ、誰もが幸せに働ける社会に少しでも貢献したいと思う。

お気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます!